鉄道踏切番と強盗 : 明治一七(一八八四)年八月に起こった強盗事件

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タイトル別名
  • Railroad flagmen and robbers
  • テツドウ フミキリバン ト ゴウトウ : メイジ ジュウシチ センハッピャクハチジュウヨ ネン ハチガツ ニ オコッタ ゴウトウ ジケン
  • テツドウ フミキリバン ト ゴウトウ : メイジ イチナナ(イチハチハチヨン)ネン ハチガツ ニ オコッタ ゴウトウ ジケン
  • テツドウ フミキリバン ト ゴウトウ : メイジ 17 1884 ネン 8ガツ ニ オコッタ ゴウトウ ジケン

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抄録

鉄道は人が行き来する道をいくつも寸断し敷設されることから、当然そこには踏切施設が設置された。そのうちでも、往来の頻繁な箇所ではその踏切のそばに官舎を建て、番人を住まわせ、家族総出で踏切業務にあたらせた。明治9(1875)年7月に開通した大阪向日町間(のちに京都まで延伸)に設置された踏切のいくつかも有人の踏切であった。そのうちの1つ、京都府乙訓郡上植野村にある踏切番の官舎で、明治17(1884)年8月に強盗事件が発生した。この強盗事件は未解決のままであったが、この事件を通して、我々は村に鉄道という形で入り込んだ近代の1つの姿を垣間見ることができ、さらには、鉄道番官舎のあらまし、種々の盗品の内容から、その生活ぶりをうかがい知ることができた。また、日本に鉄道が敷設された当初、踏切は鉄道側にあったが、所収の見取り図によれば、踏切は道路側に設置されている様子である。この変化は、日本の近代化が、その急速な進行のなかで、生活に即した近代化から、近代化に即した生活への転換を象徴する1つの姿かもしれない。

収録刊行物

  • 經濟學論叢

    經濟學論叢 63 (4), 668-650, 2012-03-20

    同志社大學經濟學會

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