北宋哲宗朝の政治文化と人脈 : 「編類章疏」と「看詳訴理」を事例として

書誌事項

タイトル別名
  • ホクソウテツソウチョウ ノ セイジ ブンカ ト ジンミャク : 「 ヘンルイショウソ 」 ト 「 カンショウソリ 」 オ ジレイ ト シテ
  • ホクソウ テッソウチョウ ノ セイジ ブンカ ト ジンミャク ヘンルイ ショウショ ト カンショウ ソリ オ ジレイ トシテ
  • The political culture and political connections in Zhe Zong period of Northern Song Dynasty : with a focus of the Bianleizhangshu and Kanxiangsuli

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抄録

本稿は、北宋時代の哲宗親政期における新法党政権下で実施された、編類章疏や看詳訴理という一種の言論統制を取り上げ、これらの政策の争点や政治集団との関わりを分析することで、当時の政治の基調を明らかにするものである。両政策で争点となったのは、先代皇帝である神宗批判者の処分であった。その背景には、政治の象徴として従来の「祖宗之法」ではなく神宗を重視した当時の風潮があり、さらに神宗を信奉する哲宗の意向も関わっていた。当時の新法党政権内部では、新法の実施・対西夏戦争・旧法党官僚への処遇をめぐって章惇・蔡卞・曾布の三者が対立していた。彼らはしばしば神宗批判を巧みに利用し、哲宗を動かすことで政敵とその関係者の排除を進めた。通説では旧法党排除の政策として理解されてきた編類章疏や看詳訴理も、その過程で情報源として利用された。哲宗親政期の政争は、新法の是非をめぐる新法党と旧法党の対立という、従来の単純な構図では最早説明できるものではない。祖宗から神宗へと政治的権威が変化する中で、政治路線の相違による対立を抱えていた政権中枢部は、政治や哲宗の意向を動かすために神宗の評価を巧みに利用していたのである。

収録刊行物

  • 人文研究

    人文研究 66 49-66, 2015-03

    大阪市立大学大学院文学研究科

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