邱永漢「濁水渓」から「香港」へ : 直木賞が開いたものと閉ざしたもの

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タイトル別名
  • Kyu Eikan, From Dakusuikei to Honkon (1955) : The Impact of the Naoki Prize
  • キュウエイカン 「 ダクスイケイ 」 カラ 「 ホンコン 」 エ : ナオキショウ ガ ヒライタ モノ ト トザシタ モノ

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抄録

邱永漢は台湾の日本語文学研究において、<台湾人>として最初の直木賞受賞者として注目されているが、その研究は十分進んでいるとは言えなかった。今回、邱永漢の代表作の一つ「濁水渓」に、これまで気付かれていなかった「第三部」が存在することがわかった。この「濁水渓」第三部は、第二部で香港亡命を決意した主人公「私」が香港に渡って台湾独立運動に関わる姿を描いていたが、第三十二回直木賞候補に「濁水渓」が選ばれた時には、単行本から削除されており、読まれなかった。本稿では削除の理由として、当時の国際状況を考慮した出版社・作家の自主規制の可能性を指摘した。そして、邱永漢はこの第三部をより<大衆文学>的に置き換え、政治性を希薄化させたものとして「香港」を執筆することで、直木賞受賞を果たしたと推測した。直木賞に象徴される日本の文壇と読者が邱永漢という作家を見出したことは評価できるが、彼が描いた東アジアの問題点からは目をそらしていた。この文学賞の意義と限界を指摘し、邱永漢のテクストの再検討に取り組むことの重要性を訴えた。

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