パタンジャリ解釈と詩人の言語慣習の対立:――バッティによるAstadhayi 1.3.56 upad yamah svakaraneの解釈―― Patanjali's Interpretation vs. Poetic Usage::Bhatti on Astadhyayi 1.3.56 upad yamah svakarane

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Abstract

Astddhyayi(以下A)1.3.56 upad yamah svakaraneは,upaに先行される動詞語基yamがsvakaranaを表示するとき,同動詞語基の後にatmanepada接辞が起こることを規定する.文法家パタンジャリによれば,svakaranaとは「自分のものでないものを自分のものにすること」(asvam yada svam karoti tada bhavitavyam)である.サンスクリット教育を企図した文法実例書Bhattikavya(以下BhK)のatmanepada部門において,バッティは「女達はお酒を受け取らなかった」(upayamsata na, BhK 8.33,[1])という表現によりA 1.3.56を例証する.後代のパーニニ文法家達が明言するように,[1]は文法学の最高権威パタンジャリの規則解釈に沿うものである.一方,Kasikavrttiによれば,A 1.3.56のsvakaranaが意図するのは,パタンジャリ解釈が示すsvakarana一般(svakaranamatra, S1)ではなく,結婚に限定されたsvakarana (panigrahanavisista-svakarana, S2)である.同解釈に従えば,注釈者マッリナータが指摘するように,[1]は誤った言語運用となる.「酒」と結婚することはできないからである.ここで重要なのは,バッティは作中でupa-yamのatmanepada形をS2の意味でも用いていることである.すなわち「ラクシュマナよ,結婚して」(upayamsthah, BhK 4.20,[2])と「ラーマよ,結婚して」(upayamsta, BhK 4.28,[3])である.バッティが[2]-[3]を通じてA 1.3.56のsvakaranaはS2としても解釈され得ることを示唆していることは明らかである.A 1.3.56を例証するには[1]だけで十分であるはずなのに,バッティが[1]に加えて[2]-[3]を使用した理由は何か.この問題に対する鍵は,詩人達の実例である.カーリダーサからマーガに至るまでに著された美文作品において,upa-yamのatmanepada形がS2の意味で使用される例は[2]-[3]を含め8つ確認されるのに対し,それがS1の意味で使用される例はBhK以外にない.このことから,バッティの時代,upa-yamのatmanepada形はS2の意味で使用されることが詩人達の間で確立されていた一方,それのS1の意味での使用は極めて稀であったことが分かる.非周知の意味での語の使用は詩的欠陥(dosa)と見なされかねない.それでもバッティは,パタンジャリ解釈の権威に基づいて,[1]をA 1.3.56の例として挙げた.その一方でバッティは,彼の時代に確立されていた詩人達の言語慣習にのっとった形でA 1.3.56を例証するために,[1]に加えて[2]-[3]も使用した.サンスクリットの達人となるためには,学習者は両種の表現方法を学ぶべきであるとバッティは考えたのである.

Journal

  • Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu)

    Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu) 64(3), 1074-1080, 2016

    Japanese Association of Indian and Buddhist Studies

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    110010051237
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN00018579
  • Text Lang
    ENG
  • ISSN
    0019-4344
  • NDL Article ID
    027218412
  • NDL Call No.
    Z9-55
  • Data Source
    NDL  NII-ELS  J-STAGE 
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