新設された「助教」名称は適当か - 日・韓・中の三国比較の視点から -

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  • Is the Term for the Newly Established "Jokyo" as an Academic Profession Appropriate? : An Analysis from a Comparative Viewpoint among Japan, Korea and China
  • シンセツサレタ ジョキョウ メイショウ ワ テキトウ カ ニチ カン チュウ ノ サンゴク ヒカク ノ シテン カラ

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抄録

歴史的に言って、韓国や中国のような東アジアの国における「助教」という名称は、大学教授職の末位に位置する職名であった。つまり日本の「助手」に相当する職位である。ところが最近日本で導入された「助教」は、終身在職権はもたないが独立した教育・研究の役割をもつ、アメリカで言えばアシスタント・プロフェッサーに相当する職位として新設されたのである。日本の文部科学省(中央教育審議会)は、新「助教」が「国際的通用性をもち」かつ「国語的・文化的にもふさわしい」名称であると導入の正当性を主張しているが、予定どおり新「助教」が導入されるならば、東アジアの教育研究交流において、日本は取り返しのつかない損失を蒙ることになる。なぜなら、導入される「助教」は、その漢字が同じであることからも分かるように、中国や韓国の「助教」と同等のものとしか見られないからである。筆者は、日本、韓国、中国の大学教授職を比較の観点から考察し、日本の「助教」の職責が韓国の「助教授」および中国の「講師」とほぼ同等であることに鑑み、学校教育法を再改正して「助教」名称を「助教授」ないし「講師」に改めることを強く提案する。

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