収容所の中の住民と生活の息吹

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  • The Civilians in the Camps : a breath of new life
  • シュウヨウジョ ノ ナカ ノ ジュウミン ト セイカツ ノ イブキ

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抄録

沖縄戦は、“鉄の嵐”と“血の嵐”が吹き荒れた、戦史上、類を見ない、戦争であった。戦場を彷徨い、壕の中から生きながらえて収容された住民は、明日への目標を失い虚脱と放心の中にいるものもおれば、飢餓線上の悲惨な避難生活から解放されて、明るい太陽の下で、自由に手足をのばせる喜びを実感するものもいた。収容された人たちの中には、親を失い、兄弟姉妹を失い、親戚を失い、天涯孤独となった多くの孤児もいた。ひとり戦火の中を生き延びて収容されたものの、飢えと渇きによる栄養失調で幼い命を落とす孤児、親のぬくもりを求めて泣き続ける孤児、恐怖に震えて明るいところへ出てこようとしない孤児、彼らがいったい何をしたというのか。沖縄戦の只中にあっても、生き残った教師たちは子供たちの教育に正面から取り組む。これが青空教室であり、ガリ版刷教科書であった。子供たちにとって多くの仲間と一緒に歌い、学び、遊べるのは大きな喜びであった。子供たちの喜びは、教師たちにとっても喜びであった。米軍政府は、収容所内で新聞を発行させるが、その意図するところは日本の敗戦が必至であることを報せると同時に、住民の身心を安定させ、収容所をスムーズに統括することにあった。戦争で打ちひしがれていた人たちを救ったのは、三味線と踊りの「力」であった。「砲弾の降ってこない南島の夜空に吸われていく三味の音」と踊りは、「枯れ枯れの大地に浸みとおる水のように、飢えた心の奥深くまで浸み込んでくる豊かなもの」であった。沖縄の三味線と踊りには、沖縄の人たちを絶望の淵から生き返らせる「力」が秘められているのである。そして鉄と血の嵐が吹きまくった沖縄戦の終結後、人びとの復興への灯火となったのが、奇跡的に焼け残った壺屋の窯から立ち昇る煙であり、廃嘘と化した首里から奇跡的に発見された黒麹菌による泡盛の製造所から立ち昇る煙であった。壷屋から立ちのぼる煙、首里から立ちのぼる煙は、復興に立ち向かう沖縄の人たちを勇気づける煙でもあった。

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