書誌事項
- タイトル別名
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- オーストリア エイガシ 1 サイショキ カラ ダイ1ジ セカイ タイセン マデ
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抄録
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オーストリアではじめて映画が有料公開されたのは、1896年3月27日、ウィーン一区ケルントナー通り49番地でのことである。パリのグラン・カフェでリュミエール兄弟がシネマトグラフを発表したのは、前年の12月だった。三ヶ月後、兄弟は自社の上映装置とフィルムをもたせて、部下のウジェーヌ・デュポンをウィーンに派遣した。上映は午前10時から夜の8時までノンストップでおこなわれた。料金は50クロイツェル、映写されたのは「パリのコンコルド広場」「鉄道」「海」等の今日でもよく知られている短編である。デュポンらはウィーン到着後、フランス大使館や各種教育機関等で何度も試写をおこなった末に、ようやくその場所での上映許可を得たのだった。
収録刊行物
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- 明治大学教養論集
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明治大学教養論集 354 85-100, 2002-03-30
明治大学教養論集刊行会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050857534500679808
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- NII論文ID
- 120001441259
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- NII書誌ID
- AN00238633
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- ISSN
- 03896005
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- HANDLE
- 10291/5162
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- NDL書誌ID
- 6230076
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB
- NDL
- CiNii Articles