<論説>植民地期ジャワ・マヅラにおけるデサ首長「自由選挙」をめぐって

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タイトル別名
  • <Articles>Free Election of the Village Chiefs in Colonial Java and Madoera
  • 植民地期ジャワ・マヅラにおけるデサ首長「自由選挙」をめぐって
  • ショクミンチキ ジャワ マズラ ニ オケル デサ シュチョウ ジユウ センキョ

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抄録

一八一六年にジャワに復帰したオランダ植民地権力は、一八一九年選挙法によリデサ首長の住民選挙原理を法制化した。この原理は一八五四年統治憲章で再確認され、その具体化作業が開始され、一八七八年選挙法が公布された。しかし、ここでは一八一九年選挙法と比べると、植罠地権力が選出に対して影響力を行使し「不適格者」をデサ首長から排除しようとする方向もみられる。そしてこの方向性は、一九〇七年の選挙法改正において一層強められた。 これらの選挙法の実際の導入はかなり遅れ、また実施された住民選挙には選挙法の規定からの逸脱が多く見られた。即ち、デサ内の有力者層は党派を形成してデサ首長職を争い、買収や陰謀が横行した。同時に、住民の多数が「自由」選挙を通じて、わざと「不適格者」を選出し、それによって植民地権力の課す諸負担を軽減しようとしていたことが注目される。こうした状況により、デサ首長の社会的地位は必然的に低下してゆくのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 73 (1), 73-104, 1990-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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