「知」の収奪-世界初の英文日本ガイドブック(1)

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  • チ ノ シュウダツ セカイ ハツ ノ エイブン ニホン ガイドブック 1

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抄録

type:Article

昨年リヨンで1867年に刊行された英語による中国と日本のガイドブックのコピーを入手した。1867年というと日本は江戸時代もまさに終わろうとする時期で,この年の11月9日大政奉還が行われ,翌年1月3日には王政復古が宣言される。この中国と日本の案内書はアヘン戦争後の中国-その隣国の屈辱にまみれた敗北を前に,開国を迫られ,主権が将軍から天皇に移行する激変を前にした日本を扱っている。本論稿はとりあえずはこのガイドブックの日本案内の部分の邦訳紹介と,その歴史的意義の分析がテーマである。ところで筆者がリヨン滞在時,当地では「世紀の精神-リヨン1800-1914」という企画展が市内の博物館,図書館,教育研究機関を網羅して開催されていた。このガイドブックを出版したイギリスで行われたわけではないが,いわゆる植民地帝国時代のヨーロッパの生活をつかむのにはまたとない機会であった。しかも近年日本では東南アジア・東アジア史(東インド会社史も含め)の研究がいよいよさかんになり,この時期の日本の鎖国開国の経緯がこれらの地域の国々と比較検討できる状況になってきた。また岩波書店の『大航海時代叢書』をはじめさまざまな旅行記がすでに翻訳され閲読可能な状態であり,キリスト教伝道と欧米諸国の海外進出の関係についても先鋭な研究が蓄積されつつあるように思われる。また欧米における18世紀以降における旅行ブームと旅行案内書の研究も見られるようになった。こうした中で今回,1867年刊行の中国・日本案内の紹介をなしうることは筆者にとり望外のよろこびである。今回は翻訳紹介する資料の概要についてまず述べると同時に,ガイドブックそのものの誕生の背景と本書の性格について,現在までに気づいた点を指摘したい。I世界最初の英文日本ガイドブック,II本書の対象とする国と都市,III『米欧回覧実記』との対比,IV刊行当時の世界とガイドブック-なぜ「『知』の収奪」か?

Jusqu'ici on croyait que le guide du Japon en anglais avait ete publié pour la première fois en 1891 à l'édition de Murray et qu'il avait utilisé le contenu des deux differents, l'un sur Nikko et l'autre sur le Nord et le Centre du Japon, édités principalement par Ernest Satow. Mais nous en avons decouvert un plus ancien qui avait ete compilé à Honkong en 1867, un peu avant la Restauration de Meiji. Nous allons présenter tout d'abord le sommaire de ce livre en parlant de ses quelques valeurs historiques et notre traduction en serie.

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