豪商大橋家と近世地域社会

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  • ゴウショウ オオハシケ ト キンセイ チイキ シャカイ

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抄録

筆者は、倉敷代官役所管下幕府領の重層的・多元的・流動的な地域社会構造を全体的かつ立体的にとらえることを課題にしてきた。そのため、前稿では、地域社会形成の重要な要素であり、その内側から社会構造の性格に影響を与える存在である豪商のひとつとして備中国窪屋群倉敷村の大橋家を取り上げ、その経営内容のいくつかの側面を分析した。本稿では、次の段階として、大橋家と地域社会との関係を実態的に究明することを課題とする。備中幕府領の陣屋所在地で中心的な村である倉敷村の場合、新禄古禄騒動を経て文政11年(1828)に、はじめて新興の豪農商が村役人に就任した。地主小作関係・金融関係などの経済的基礎のうえに、文政11年から、新興の豪農商が行政運営主体の中に入っていったのである。そうした実体の中で、大橋家と地域社会とのかかわりは、いかに変容していったか。具体的には、まず大橋家の政治的地位の上昇過程と地主経営の実体を解明するために、村方騒動と小作騒動への関与を検証する。次いで、幕藩領主とのかかわりの一側面として、経済的援助の実態を検証する。さらに、村内の困窮者への対応の一側面として、救恤活動への参画を検討する。そのうえで、大橋家の発展過程を、政治的地位と経営の両方を視野に入れながら地域社会の中に位置づけてみたい。

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