『大日本帝国憲法』第28条「信仰自由」規定の成立過程 The Enactment of the Twenty-eighth Article in the Old Imperial Constitution
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抄録
『大日本帝国憲法』(以下帝国憲法と略す)第28条「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由ヲ有ス」(「信仰自由」規定)は戦前の国家と宗教の関係(政教関係)を規定したものであり,明治国家のイデオロギー政策の重要な構成要素である宗教政策の基本的枠組を表現したものである.この38文字によって表現された「信仰自由」規定は極めて漠然としたものであるが,戦前日本がファシズム化していく過程にあって,とりわけ1935年の大本教第二次大弾圧を契機に多くの宗教団体・宗教者がこの規定を具体化した諸法規によって激しい弾圧を受けたのであり,そういった意味では私たちにとって忘れることのできない規定であった.しかしながら,このような重い意味を持った規定でありながら,この規定に関する研究は皆無といってよい程少い.筆者はかつて,この規定の成立過程をあきらかにする前提作業として1885(明治18)年以前に・すなわち,帝国憲法の起草が本格的に始まる以前の段階で作成された政府官僚層の手になる憲法草案(「私擬憲法」)の「信仰自由」規定を分析し,以下の三点にわたる結論を導き出しておいた.
収録刊行物
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- 奈良大学紀要
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奈良大学紀要 (6), p127-140, 1977-12
奈良大学