平安時代の多武峯寺と興福寺--対立・抗争について Study on the Temple of Tounomine vs. the Temple of Kofuku, in the Heian Period.

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抄録

興福寺は、藤原氏の氏寺であったが、その全盛期(安和の変~後三条天皇即位以前)に於いては、必ずしも同氏の信仰(或いは処遇、貴種の入寺等)の第一位にあったとは考えがたい。同氏は、この時期は、皇室や他の諸貴族との関係のためか、むしろ、天台・真言両宗を第一としていたようである。また、藤原鎌足の墓所の多武峯寺は天台宗延暦寺の末寺となっていた関係もあり、藤原氏内では、その怪異への対応は高く位置付けられていたと考えられる。しかし、藤原氏没落期(後三条天皇即位以後)になると、同氏(師実)は興福寺に大きく接近し、息男(貴種)を同寺にも相次いで入寺させたうえ、同寺を大和国司に推挙したものと考えられる。こうした状況のもとで、かねて、末寺になるよう要求していた多武峯寺に対する矛先は一層鋭くなってゆく。

収録刊行物

  • 奈良大学紀要

    奈良大学紀要 (23), p1-14, 1995-03

    奈良大学

各種コード

  • NII論文ID(NAID)
    120002648496
  • NII書誌ID(NCID)
    AN00181569
  • 本文言語コード
    JPN
  • 資料種別
    Departmental Bulletin Paper
  • 雑誌種別
    大学紀要
  • ISSN
    03892204
  • NDL 記事登録ID
    3273709
  • NDL 刊行物分類
    H82(宗教--仏教)
  • NDL 雑誌分類
    ZV1(一般学術誌--一般学術誌・大学紀要)
  • NDL 請求記号
    Z22-845
  • データ提供元
    NDL  IR 
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