植民地期インド・オリッサにおける社会変容--歴史人類学的検討

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  • 田辺 明生
    京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科

書誌事項

タイトル別名
  • Transformation of local society under colonialism in Orissa, India: a perspective of historical anthropology
  • ショクミンチキ インド オリッサ ニ オケル シャカイ ヘンヨウ レキシ ジンルイガクテキ ケントウ

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抄録

本論は,植民地期インド・オリッサにおける地域社会の変容を描く。英国支配のもとで,インド・オリッサの地域社会は,二段階の大きな変化を経験した。まず植民地化直後の土地私有制の導入により,職分権体制は崩壊し,階層的土地所有を基礎として,支配カーストを中心とするジャジマーニ一関係(パトロン・クライエント関係)が形成された。また植民地政府によるバラモンの重用により,儀礼的なカースト・ヒエラルヒーが強化された。こうして,バラモンを頂点とするヒエラルヒーと支配カーストの中心性を,植民地政府は「伝統化」したのであった。一方,存在の平等性に基づいた共同態的協力や,信愛に基づいて自らの行為を神に奉仕として捧げるといった,供犠的な社会原理は,宗教儀礼領域における浬念・実践として限定化され,日常的な社会経済関係から切り離された。植民地下の第二の大きな変化は,一九世紀後半における農業の商業化の進展にともなう社会変容である。ここで新興階層が出現する一方,旧支配層の一部は没落し,また貧民層の多くは農業労働者化していった。農業の商業化とともに,地域社会は英国を中心とする帝国経済の一部に取り込まれていった。しかし同時に,植民地的視点による現地社会の客体化と他者化も進行し,「現地の社会・文化」と「近代の国家・市場」とのあいだの価値的な分断状況が進行した。こうして植民地主義というくさびによって価値的に二分された領域の聞には,同時に,接合と反発そして媒介の試みという複雑なダイナミズムが生まれることとなった。一九世紀後半からは民族運動が徐々に高まっていくが, 合理主義・自由主義を運動の基盤とするエリー卜・ナショナリズムと,カース卜や王権や宗教に基づく民衆のパトリオテイズムとは,時的な協力,矛盾,対立,媒介の試みなどを含む複雑な関係を有していた。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 98 1-79, 2009-12-30

    京都大學人文科學研究所

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