里山からキツネが消えた日 : 豊田市小手沢町の地蔵堂から見つかったキツネの遺骸

DOI 機関リポジトリ HANDLE オープンアクセス

書誌事項

タイトル別名
  • The day when a fox disappeared from Sato-yama: 14C dating of a fox remains found from the space under the floor of the Jizo-temple in Kodenosawa, Toyota

抄録

愛知県豊田市小手沢町にある地蔵堂を建替えるために旧堂を取壊したとき,床下から乾潤びたキ ツネの遺骸が見つかった.遺骸の横に1971年から1983年まで使用されたデザインのチキンラーメ ンの袋があった. 口先から骨盤までの長さが約50cmの成獣である.遺骸の地面に接した右側半分 と尾は骨まで溶けて失われていた.左側半分には耳や皮膚も腐敗することなく保存されていたが, 体毛は全く残っていなかった.骨は白骨化し,前足の付け根の皮膚にのみ黒色の筋組織様のものが 付着していた. キツネの歯と骨から抽出したゼラチンコラーゲンの14C濃度(δ13C=-25‰に規格化)は129.2±0.4 pMCと129.0土0.4pMCである.この較正年代(1962年と1979 -1980) 年)とチキンラーメン袋の 使用期間および腐敗の無いことを総合して,キツネの死亡時期を1979年11月下旬~1989年1月上 旬と特定した.キツネのδ13Cは=-18±1‰である.小手沢地内にはC4植物が殆ど栽培されていない ので, 地域内の植物や小動物のみを食べていたと仮定すると,ほぼ完全な肉食をしない限りδ13C=-18‰にならない.一方,キツネの87Sr/86Sr比は0.70745 であり,分析誤差を超えて小手沢のイノシ シ(0.70993) ・川の水(0.71008) ・花崗閃緑岩の初生値(0.7096)より小さい. δ13C値と87Sr/86Sr比か ら,キツネは外来の餌(残飯を含む人間の食料やトウモロコシ主体の家畜飼料)を相当量摂取して いたと結論した. 地蔵堂の床下から見つかったキツネの死亡時期(1979年)は,小手沢地内でキツネが減少した時期 より約10年後で,イノシシの食害が顕在化する1980年代半ばに近い.人家に近い里山を縄張りと するキツネが,イノシシの人里進出を阻止していた可能性を考察した.

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ