私のことば、私達のことば : 「母語」という文化的装置と言語ナショナリズムをめぐって

DOI HANDLE Web Site オープンアクセス

書誌事項

タイトル別名
  • My Language, Our Language : Notes on Cultural Apparatus Called 'Mother Tongue' and Linguistic Nationalism
  • ワタシ ノ コトバ ワタシ タチ ノ コトバ ボゴ トイウ ブンカテキ ソウチ ト ゲンゴ ナショナリズム オ メグッテ
  • ワタクシ ノ コトバ ワタクシタチ ノ コトバ ボゴ ト イウ ブンカテキ ソウチ ト ゲンゴ ナショナリズム オ メグッテ

この論文をさがす

抄録

言語と共同体の結びつきは、近代において強調されるようになった。そして、その思想は一九世紀以降の新興国民国家のナショナリズムの中で民族=国民に固有の言語という形で表現された。現代の多民族・多言語国家におけるエスノ・ナショナリズムの増加に伴い、国民国家の枠組みに揺さぶりがかけられているが、特定の共同体に固有の言語があるという原理に変化はない。本論では、この民族に固有の言語という原理が、言語ナショナリズムの中で母語という概念を巡り、いかに現われているかを検討する。まず、近年出てきた言語権を巡る議論を検討し、自己の母語使用の権利を希求する言語権の前提に、個人の母語を言語共同体の「母語」に読み換える「『母語』のロジック」が存在することを指摘する。次に「母語」のロジックにより象徴化された「母語」が、母語教育や標準化を通じて客体化され、言語共同体に「固有の」言語となっていく状況とその問題点について触れる。そして、「母語」のロジックを巡る事象の具体的事例として、筆者の調査地、インド、ゴア州の言語ナショナリズムについて取り上げる。最後に、ゴアの事例に見られる、「母語」の固有性の主張と役に立つ言語を選び取るという考え方の両方が、実は、近代的「所有」の問題系の中に包摂されうるのではないか、という仮説を提示する。

収録刊行物

  • 年報人間科学

    年報人間科学 24-1 67-86, 2003

    大阪大学大学院人間科学研究科社会学・人間学・人類学研究室

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ