Abstract
本稿では気分明朗剤(mood-brighteners)の服用の是非とそれを通して快楽主義的功利主義の是非について論じる。快楽主義とは快や幸福のみが善であると主張する道徳的な立場であり、経験機械の議論をはじめ様々な批判にさらされながらも一定の支持を集めてきた。しかし近年開発された気分明朗剤という薬がもたらす倫理的問題は、快楽主義に対して新たな疑義を呈しうるように思われる。気分明朗剤とは簡単に言えば不安を緩和し気分を明るくする薬物であり、服用者の快につながるものである。そのため気分明朗剤の使用は快楽主義的に見て肯定されるものである。しかし一方で我々の間にはこの薬物に対する否定的な感情、道徳的な直観がある。この直観が妥当なものであるならば、気分明朗剤の服用は否定されるべきであり、また気分明朗剤の服用を肯定する快楽主義もまた否定されるべきということになるだろう。そこで本稿では主に気分明朗剤の服用を批判する言説を検討し、それが妥当であるか否かを検討する。筆者の考えるところでは、L.カスらが呈示する偽物と本物の区別、適切な感情などに基づく批判は誤りであり、気分明朗剤および功利主義に対する決定的な批判とはならない。しかし苦痛とその受容が持つ価値にかかわる議論は快楽主義にとって直接的な疑義を投げかけうる。
Journal
-
- 応用倫理
-
応用倫理 3 45-62, 2010-03
北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター
- Tweet
Details 詳細情報について
-
- CRID
- 1390853649724706048
-
- NII Article ID
- 120005208921
-
- HANDLE
- 2115/51832
-
- ISSN
- 18830110
-
- Text Lang
- ja
-
- Data Source
-
- JaLC
- IRDB
- CiNii Articles
- KAKEN
-
- Abstract License Flag
- Allowed