チベットアムド地域ワォッコル村におけるルロ祭とその歴史的背景

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タイトル別名
  • The Luro Festival : A Historical Examination on its Practice in Workor Village,Amdo,Tibet
  • チベットアムド チイキ ワォッコルムラ ニ オケル ルロサイ ト ソノ レキシテキ ハイケイ

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抄録

チベット人地域のうち,本稿ではチベット高原東北のアムドをとりあげる。アムド文化の中心地レプコン地方は,昔から辺境部落や国境の紛争地に位置し,半農半牧の多民族集居の地方である。旧暦6月はチベットアムド地域では小麦など穀物の収穫期である。この時期,同仁県(レプコン地域を指す)を中心とした,隆務川中域のワォッコル村などでは,最も伝統的なルロ祭という祭祀儀礼が行われる。これらの村は,ワォッコル村を中核とし形成されており,かつて同じ骨系を持つと考えられている地縁集団である。具体的には,ワォッコル村と,隣接するハラバトル村とガセドゥ村であり,この三村の崇拝対象となる諸神は兄弟関係を持つ。しかし村によって祭祀の実践方法には違いが見られ,それぞれ独特の特徴が見て取れる。この祭事(3日から5日にかけて)では村人がマホンカンに集まり,老若男女が晴着を着て積極的に祭りに参加する。現地のことわざでは「お正月しか良い物を食べず,ルロ祭りしか良い衣服を着ない」と言うほど,重要な祭りである。当日は,ハワの下で,神々への感謝の意をこめて伝統的な神舞,龍舞,軍舞などが演じられ,民謡が歌われ,大量のケルサンとマルサンの供物が供えられる。対象となる神々は,仏教以前の自然崇拝から生まれたものであり,「チベット人の自分たちを取り巻く山河に数知れぬツェン(btsan),ニェン(gnyan),サダク(sa bdag地主神),ル(klu竜)などの霊気は天空に満ち,荒ぶる神々の怒りを鎮め福を招く」(奥山1991:133)とされる。これらの祭事は,ハワを通して神々の意向をうかがい,犠牲を捧げて祈るという民間信仰の形態をあらわしている。ワォッコル村の主神はダルジャ神であり,ダルジャ神山がある地域はかつて唐と吐蕃の間で抗争が繰り返された地域である。平和を求めて両国間では783年と821年の2回に渡って,「吐蕃は吐蕃に安らかに,唐は唐において安らかになさん」(石濱1999:44-45)という会盟が行われ,その決議文は碑文に刻まれて残った。唐蕃将兵らはチベットの習慣に基づいて,ケルサンとマルサンをワォッコル村の主神であるダルジャ神にささげ,不戦,災難防除,安居楽業などを祈る儀式を行い,羊皮・牛皮の太鼓をたたき蕃唐盟約を祝った。これがルロ祭の始まりとされる。現在,ルロ祭では,ダルジャ山神に感謝の意を表すため,弓・刀・矛・太鼓などの武器と軍旗を持って唐蕃時代の服装をし,長時間にわたる複雑な軍舞を演じる。この一連の舞踊は,唐と唐蕃との戦争の過程や部落の紛争,村の歴史等を再現していると考えられる。

収録刊行物

  • 研究論集

    研究論集 12 103-136, 2012-12-26

    北海道大学大学院文学研究科

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