Did Dharmakīrti Criticize Dignāga's Assertion? : On the Purpose of Stating vyatireka in the Pramāṇaviniścaya Did Dharmakirti Criticize Dignaga's Assertion? : On the Purpose of Stating vyatireka in the Pramanaviniscaya

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Abstract

ダルマキールティは、自著『量決択』Pramāṇaviniścaya第2章の中で、前主張を提示した上で、その同じ主張を批判しながら自説を展開している。当該箇所においてダルマキールティ自身は、誰がその前主張を述べたかを明記していないものの、E. Steinkellnerも指摘するように、その前主張と同様の陳述がダルマキールティの先師に当たるディグナーガの『集量論註』Pramāṇaviniścayavṛtti にも見られることが、現在広く知られている。もし『量決択』に引用された前主張が『集量論註』に述べられるディグナーガ自身の主張だとした場合、ダルマキールティは、ディグナーガの主張を批判して、それとは異なった自説を述べていることになってしまう。ダルマキールティは、自分の論理学思想はディグナーガに由来するものであるとし、ディグナーガの思想を説明ないし再解釈する立場にあることを強調する。であるにもかかわらず、ダルマキールティがディグナーガの主張を批判したとすると、解釈上不都合な問題が生まれることになる。この問題を意識していたのか、『量決択』に対する複数の註釈者は、その前主張をイーシュヴァラセーナに帰し、ダルマキールティの批判はディグナーガではなくイーシュヴァラセーナに向けられていると理解している。本論文では、以上のような議論の背景を念頭に置きながら、E. Steinkellner らの先行研究を踏まえ、当時は利用不可能であった『量決択』の註釈書などの新出資料を含め、従来の研究では参照されることのなかった諸文献を基礎資料として、この問題にあらためて考察を加えたい。というのも、『量決択』に引用されている前主張が、仮にイーシュヴァラセーナの説だとしたとしても、『集量論註』の当該の主張もまたディグナーガ自身の主張ではなかったのかという問題が新たに生じる。また一方で、ダルマキールティの批判がイーシュヴァラセーナとディグナーガのいずれにむけられていたかが判然としないままに残ることになってしまう。この点で興味深いことに、一部のチベット人による『量決択』の註釈では、『集量論註』をイーシュヴァラセーナに帰している。あるいはまた、『集量論註』の当該個所をイーシュヴァラセーナが書き換えたと伝えている。本論文はそれゆえ、当該の問題に関する以上のような複数の解釈を紹介しながら、『量決択』の註釈者たちが、ダルマキールティの批判がディグナーガに向けられてしまうという不都合な事態を避けるために、どのような解釈を施したかという軌跡を辿り、あらためて当該の問題を整理し、再検証する。

Journal

  • インド哲学仏教学研究

    インド哲学仏教学研究 (19), 1-18, 2012-03

    東京大学大学院人文社会系研究科・文学部インド哲学仏教学研究室

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    120005246036
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN10419736
  • Text Lang
    ENG
  • Article Type
    departmental bulletin paper
  • ISSN
    0919-7907
  • NDL Article ID
    023958387
  • NDL Call No.
    Z9-B19
  • Data Source
    NDL  IR 
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