オリンピック関連記事にみられる国家意識の変容

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タイトル別名
  • How do Japanese People Feel about the Nation : Analysis of the Articles about the Olympic Games
  • オリンピック カンレン キジ ニ ミラレル コッカ イシキ ノ ヘンヨウ

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抄録

本稿の目的は、日本人の国家に対する意識がどのように変化しているのかを分析することにある。この際、オリンピック関連の新聞記事において、「国家」や日本人選手がどのように描かれているのかに注目する。近年、オリンピックが喚起する集合的アイデンティティの基盤は国家から、人種、民族などに移り変わってきているといわれる。しかしこうした議論は、旧植民地国家や多文化国家を対象としたものであり、「単一民族神話」が根強い日本においては状況が異なっている。本稿では、一九八八年、九二年、九六年のオリンピックに関する新聞記事を、コンピュータ・コーディングを用いて分析し、以下のようなことがわかった。一九八八年では「国家」は「国民」を抑圧する対象として否定的に捉えられていた。九二年になると、「国家」は国際的な舞台で颯爽と活躍する選手たちによって象徴されるようになる。そして、九六年になると「国家」や「日本」という概念自体の使われる頻度が下がり、代わりに日本人選手が家族やチームといった親密で小さな共同体の支えの中で苦難を乗り越える姿が描かれるようになる。国家が集合的アイデンティティの基盤としての役割を失いつつある中で、日本では民族や人種という概念がリアリティを持たないために、「家族」や「チーム」など失われつつある親密な共同体への回帰が起こっているのである。

収録刊行物

  • 年報人間科学

    年報人間科学 27 87-105, 2006-03-31

    大阪大学大学院人間科学研究科社会学・人間学・人類学研究室

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