The Vedānta Simile of "Pot-space" in the Madhyamakahṛdayakārikā and the Tarkajvālā

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「瓶空喩」(ghaṭākāśadṛṣṭānta)は、初期ヴェーダーンタ派の学匠、ガウダパーダの「不二一元」(advaita)論を特徴づける喩例として知られている。『アーガマシャーストラ』(Āgama-śāstra、別名『マーンドゥーキヤ頌』)の中でガウダパーダは、「瓶空喩」を適用する際に、なにゆえ「不二」のアートマンは、変化することなく「二」の個我(jīva)を生じるのかを論じる。一方また、これとはやや異なる意味合いをもつ「瓶空喩」がバーヴィヴェーカ(Bhāviveka)の『中観心論』Madhyamakahṛdayakārikā に見いだされる。すなわち、第八章の「ヴェーダーンタ[派]の真実の[批判的]確定」(Vedāntatattvaviniścaya)においてである。この章の前主張(pūrvapakṣa)で著者のバーヴィヴェーカは「瓶空喩」を紹介し、後主張(uttarapakṣa)の中でその「瓶空喩」等に批判を加えている。たしかに、「ヴェーダーンタ[派]の真実の[批判的]確定」章の前主張内の第9–12偈と『アーガマシャーストラ』第3章の第3–6偈には、いくつかの表面的な類似性がある。例えば、両書ともに「虚空」と「瓶」などの喩例的な要素を含んでいる。しかしながら、実際には二つの「瓶空喩」の意味と目的はかなり異なるのである。後主張の第63–67偈の中でバーヴィヴェーカは、ヴェーダーンタ派が説く意味での「瓶空喩」ではなく、むしろ虚空(ākāśa)のみに焦点を当てて批判している。彼は「虚空」(外の空)と「瓶空」(瓶の中の空)との関係に論及しないばかりでなく、ガウダパーダの「不二一元」論にも関心を示さないのである。それゆえ、二つの「瓶空喩」にみる類似点と相違点とを比較考察することによって、未解決の興味深い問題が浮かび上がってくる。すなわち、バーヴィヴェーカが紹介する「瓶空喩」は『アーガマシャーストラ』のそれに忠実に従うものであるのか?  忠実に従うものでないとした場合、両者は厳密にどのような点で異なるのか?  バーヴィヴェーカが「瓶空喩」に批判を加えるとき、はたして彼はガウダパーダの思想を念頭に置いていたのであろうか?  なにゆえバーヴィヴェーカは「瓶空喩」全体ではなく、虚空(ākāśa)のみに焦点を当てたのか?  彼がヴェーダーンタ派の「瓶空喩」を紹介し、批判した目的は何であったのか?  バーヴィヴェーカの年代(490–570頃)によって、ガウダパーダの生存年代を推定できるであろうか? 等々の問題である。本発表では、バーヴィヴェーカが初期のヴェーダーンタ思想を紹介・批判する具体的な方法とその背景を検証するために、『中観心論』とその注釈『論理の炎』の第8 章の分析をとおして、以上のような関連する複数の問題を考察し、基本的な回答を提示したい。

Journal

  • インド哲学仏教学研究

    インド哲学仏教学研究 (20), 1-16, 2013-03-31

    東京大学大学院人文社会系研究科・文学部インド哲学仏教学研究室

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    120005324978
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN10419736
  • Text Lang
    ENG
  • Article Type
    departmental bulletin paper
  • ISSN
    0919-7907
  • Data Source
    IR 
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