全体社会というシステムは存在しない : 多元的制度論の試み (4)

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  • ゼンタイ シャカイ ト イウ システム ワ ソンザイ シナイ : タゲンテキ セイドロン ノ ココロミ(4)

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抄録

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個々の制度は閉じた存在ではなく、様々な様態で互いに連関したり、重層したりしている。このことは疑いようのない事実である。ただ、我々は、複数の制度が互いに連関して、イタリア社会やカナダ社会といったいわゆる全体社会を構成しているとは考えない。我々は、後にイタリア社会やカナダ社会といったまとまりを理論的に設定するが、それは、複数の制度の相互連関によって構成されたシステムといったものではない。我々は、複数の制度の相互連関によって構成されたシステムとしての全体社会といったものの存在を認めていない。しかし、一般的には、複数の制度の相互連関によって構成されたシステムとしての全体社会といった単位が、現実に存在しているという見解が広く浸透している。このような見解を明示的に呈示してきたのはもちろん社会システム論であるが、社会システム論の論者以外の人々の間でもこのような見解は浸透している。全体社会というシステムが存在するということは、広く受け入れられた暗黙の前提である。本稿の目的は、この暗黙の前提が間違っていることを指摘することとこの暗黙の前提がなぜ広く受け入れられてきたのかを示すことにある。以下が本稿の構成である。まず、1で、全体社会というシステムが社会システム論においてどのようなものとして考えられてきたのかを確認する。次に、2で、近代日本の具体例を検討することを通して、全体社会というシステムが実体としては存在しないことを示す。そして、3で、社会システムというものが元来は社会のメタファーであったことを指摘し、4で、全体社会というシステムが存在するという前提がなぜ広く受け入れられてきたのかを論じる。また、最後の付論で、制度の連関と重層の諸様態に関する説明を行う。

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