「末の松山」考 : 「波が越す」という措辞をめぐって  [in Japanese]

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Abstract

歌枕「末の松山」について、それを「波が越す」という有名な措辞がある。古くは『古今和歌集』巻二十・第一〇九三番歌に、「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」とあり、「仮名序」にも和歌表現の歴史を言う中で、「あるは、松山の波をかけ」とある。この東歌の表現は、『万葉集』巻七・第一三八二番歌「泊瀬川流る水沫の絶えばこそ我が思ふ心遂げじと思はめ」等の類型表現と同様、「非現実的現象の非実現性」を、恋心の永続性の譬喩とするものだが、仮定の上下が逆になっている。わざわざ上下が逆転した作りになっているのは、貞観津波によって「末の松山を波が越える」ことは、実現一歩手前まで行ってしまったので、類型通りでは、自らの恋心の誓いにならないと感じられたためと思われる。つまり、この東歌の、そしてこの措辞の背景には、貞観津波で末の松山に津波が迫ったという事実があったはずなのである。この措辞が都に伝わると、一気に広まったが、やがて津波の知識・記憶は薄れ、元々の意味とは別に、面白い表現として使用され、「歌枕」となったものであろう。

Journal

  • 三重大学教育学部研究紀要, 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学

    三重大学教育学部研究紀要, 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学 65, 92-100, 2014-03-31

    三重大学教育学部

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    120005462440
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AA12097333
  • Text Lang
    JPN
  • Article Type
    Departmental Bulletin Paper
  • ISSN
    1880-2419
  • Data Source
    IR 
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