明治末期の内務省地方局における「田園都市論」の展開

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タイトル別名
  • The evolution of "the Garden City concept" in the Bureau of Home Affairs in Ministry of Interior in the closing years of Meiji era
  • メイジ マッキ ノ ナイムショウ チホウキョク ニ オケル デンエン トシロン

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抄録

郊外住宅地の形成に思想的に連なる「田園都市論」は当初内務省地方局を中心に受容された。「田園都市論」は地方改良運動との関係で受容されたのであるが, それは明確な目的意識の下で受容されたのではなかった。しかし, 当時の社会状況に対応しようとする感化救済事業と接合されることを通して, 「田園都市論」は積極的な意義を与えられることになった。感化救済事業では, 従来は住宅に関する問題は救貧・防貧対策として考えられていたのだが, 資本主義の生産関係における労働力再生産過程を支える機能空間として「住」に関わる空間が理解されるようになったのである。また, この空間は国民統合というもうひとつの課題を実現するための「社会」を創出していく空間としても機能することを求められるに至った。「田園都市論」は, 分節化されかつ統合された社会関係を支え, 発展させていく空間論へと展開された。

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