帝国日本下における人の移動と神の勧請 --沖縄石垣島の台湾系華僑・華人の「土地公祭」をめぐって--

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タイトル別名
  • Migration and Transferring God in the Japanese Empire : Overseas Chinese from Taiwan on Ishigaki Island and Their "Tu Di Gong" (Earth God) Worship
  • テイコク ニホン カ ニ オケル ヒト ノ イドウ ト カミ ノ カンジョウ : オキナワ イシガキジマ ノ タイワンケイ カキョウ ・ カジン ノ 「 トチコウサイ 」 オ メグッテ

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抄録

日本の台湾植民地支配は, 1895 年から1945 年までの50 年間に及ぶ。その間, 多くの台湾の人々が海を渡った。なかでも地理的近接性から, 沖縄との人や物の往来は戦前・戦後とも盛んであった。本論では, 帝国日本と「民間信仰」の関わりを考察の対象に据える。その目的は, 帝国日本下におけるコロニアル/ポストコロニアル状況がどのような宗教的実践をもたらしたのかの事例検討を行なうことにある。具体的には, 歴史的・政治的・地域的な背景を念頭におき, 台湾(植民地台湾/中華民国台湾) から沖縄石垣島への華僑・華人の往来, 台湾から石垣島に勧請された神である「土地公」祭祀の変遷と自他意識の関わりについて考察する。当初, 土地公の祭祀は, 移住地において自らの存在を確認し, さらに勧請した神を介することで個別に自分たちとその土地を結び付けていく行為であったと思われる。そして1930 年代結成された「台友会」による集団での土地公祭は, 自らを, 植民地支配下, 日本, 沖縄, 台湾の序列のある階層に安全で意味のある存在として位置付けるための戦略的な結合として考えられる。また, 戦後, 1960 年代に盛んになった土地公祭は, 人々の経済向上, 中華民国政府の政策もあり, アジアの華僑としてのエスニシティを喚起する「エスニック・フェスティバル」化された。しかしその後, 集団帰化, アイデンティティの変化他の理由により, 再度個別化し, その参加者は減少し, 規模は縮小した。土地公祭祀からは, 時代によって異なるが, 民間信仰と帝国日本の関わり, そして戦後, 帝国日本解体後の東アジア世界の再編における政治的行為と連動しながら連続する民間信仰の関わりが指摘出来る。台湾から移動してきた人々は, コロニアル/ポストコロニアル状況という巨大な権力構造下, 「中国人性」を維持(もしくは無化) しながら, 自らが居住する地域社会と折り合いを付け, 居場所を確保しようとしてきた。土地公祭祀の動態は宗教的実践であるとともに, その軌跡をもあらわしている。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 108 35-47, 2015-12-30

    京都大學人文科學研究所

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