戦後日本における人口政策論の展開 : 家族政策主流化までの道のり

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  • センゴ ニホン ニオケル ジンコウ セイサクロン ノ テンカイ カゾク セイサク シュリュウカ マデ ノ ミチノリ
  • A Historical Study on the Population Debate in Postwar Japan

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抄録

1 はじめに : 日本では, 1990年の1.57ショックを機に少子化が行政課題になった。以来講じられてきた少子化対策の背後にあるのは出生率の回復が望ましいという考えであるが, 政府の人口に対する問題意識が人口状況に応じて変化し今日に至っていることはいうまでもない。戦後日本の合計特殊出生率(以下, 出生率)の推移をみれば, 戦後間もない時期の出生率は4を超える水準にあった。1950年代を通じて急激な出生率の低下を経験し, それ以降は2000年代半ばにかけてゆるやかな低下傾向を示してきた(図表1, 参照)。出生率が継続的に人口置換水準を下回るに至った1970年代には, 日本の人口論議をリードしてきた人口問題審議会の問題意識にも転換がみられた。1974年の黒田俊夫(当時, 厚生省人口問題研究所所長)は, 日本人口の変動をめぐって1974年を境にそれまでを第一期, それ以降を第二期としてそれぞれを以下のように特徴づけた。……

収録刊行物

  • 経済学雑誌

    経済学雑誌 116 (4), 81-110, 2016-03

    大阪市立大学経済学会

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