<論文>サムスングループの形成と成長における日本からの影響 : 1938年から1987年までの期間を対象に

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  • <Article>Influence of Japan on the Formation and Growth of the Samsung Group from 1938 to 1987

抄録

本稿では、サムスングループの創業者である李秉喆が経営を担当していた 1938 年から 1987 年までの期間を対象に、この時期サムスンが韓国最大の財閥として成長していく過程で、日本からどの程度、またどのように影響を受けたかを検討することを目的とする、特に、サムスングループの形成と成長における日本からの影響を、これまでの研究では十分に研究されていなかった資本調達、事業戦略、技術移転の 3 つの面に注目しつつ歴史的過程を考察する。サムスンは、日本の植民地支配時代に中小企業として出発した。植民地支配下の企業にとって、社会インフラ、資本、技術等において日本に依存することはある意味当然であり、その事実の有無よりは、程度と方法が重要であると思われる。日本から独立した 1945 年以降、韓国の企業に対する日本の影響力は、企業ごとにその影響の差はあるものの、以前よりは減ったが引き続き大きいものであった。影響のウェイトが非常に高かったことは変わらない。サムスングループの成長については、政権との癒着、事業の多角化、国内・国際市場の変化とニーズへの迅速な対応などの特徴を見せながらも、その成長の過程で日本、または日本企業の協力にかなり頼っていたことを明らかにする。まず、資本調達過程での日本からの影響については、民族資金と自己資金の不足と韓国の後進的な金融制度などの問題があったため、日本の銀行からの借入・日本の企業からの有償援助で上記の問題を解決してきた。事業戦略の日本からの影響については、主に日本の経営管理方式や経営戦略の導入と電子産業や半導体産業などの主力事業モテルの模倣を指摘する。最後に、技術移転の面での日本からの影響については、教育・訓練プログラムの導入、品質管理技法の導入ということについて考察する。

収録刊行物

  • 国際日本研究

    国際日本研究 8 125-144, 2016-03

    筑波大学人文社会科学研究科国際日本研究専攻

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