The Development of Japanese Red Cross Society (JRCS) Peacetime Relief Efforts : The Role Played by Ninagawa Arata

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  • 日本赤十字社がおこなった平時救護の展開過程 : 蜷川新が果たした役割

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本論文の目的は、日本赤十字社が、なぜ第一次世界大戦以降に、戦時救護に加えて、平時救護もおこなうようになったのかについて、諸国赤十字社と日本赤十字社との関係性を踏まえて探ることである。  まず、第一次世界大戦を契機として、諸国赤十字社における救護の意味する内容の変化を明らかにした。すなわち、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国を中心とした各国赤十字社は、「戦時救護」に加えて、平時においても自国民の生命を守るための「平時救護」の必要性を強く認識したのである。ここで指し示す平時救護とは、疾病予防と健康管理を意味した。第一次世界大戦の経験によって、平時救護を推進する組織である赤十字社連盟がアメリカ赤十字社主導で1919年に新たに設立された。  次に、赤十字社連盟成立に向けての国際会議には、蜷川新が日本赤十字社の代表者の1人として数回出席した。蜷川新は国際法の専門家として、国際連盟規約上に、人道主義の思想を盛り込むことに貢献し、この功績を日本国内で繰り返し誇示した。しかしながら、本論文では、蜷川の主張に反して、日本赤十字社の役割は限定的であったことを明らかにした。その理由は、第1に赤十字社連盟は明らかにアメリカ赤十字社の政治力と経済力によって成立したからである。第2に赤十字社連盟設立の大きな狙いは、医学および公衆衛生の専門家によって理論付けされた健康増進および疾病予防の知識の普及にあったからである。  このように日本赤十字社の赤十字社連盟成立に果たした役割は限定的であった。しかしながら第一次世界大戦以降、赤十字社連盟の活動内容は、たとえば、公衆衛生を担う看護婦の養成、妊産婦や乳幼児向けの健康管理、赤十字社の思想を普及させるための活動する少年赤十字の誕生という形で、日本国内で、結実していった。

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