<特集論文 1>生を刻む みる・きく・たたく・かわす-- 北海道浦河ひがし町診療所の「音楽の時間」から
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- 浮ヶ谷, 幸代
- 相模女子大学
書誌事項
- タイトル別名
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- Being Alive: Watching, Listening, Tapping, Communicating : The Case of the Night Care Program, "Music Time" at Urakawa Higashi-Machi Clinic in Hokkaido
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抄録
本稿は、医療人類学におけるナラティヴ・アプローチの批判点を踏まえつつ、非言語的活動としてのパフォーマンス活動を通して、参与観察とインタビューとを併用させた調査方法により、聴き取る側の構え(態度)とその記述について人類学的研究の可能性に挑戦するものである。本稿で取り上げる事例は、精神医療を専門とする北海道浦河ひがし町診療所(以後、診療所)のナイトケアで繰り広げられる「音楽の時間」でのパフォーマンス活動である。浦河町では国際的に評価を得ている<浦河べてるの家>の当事者研究があるが、それは言語的表現が前提となる。ところが、診療所の当事者メンバー(以後、メンバー)には人前で話すのが苦手である、もしくは語る言葉を獲得できない人たちがいる。彼らにとって非言語的活動としてのパフォーマンスは、「生きていること」を実感できる活動となっている。診療所ではスタッフもメンバーもコーディネーターも「音楽活動はセラピーではない、プロを目指すわけではない」という理念を共有し、参加者は「音楽はコミュニケーションである」という命題のもと、みる、きく、たたく、わらう、おどる、という身体表現が創出する場として「音楽の時間」を享受している。パフォーマンス活動に参加するメンバーの「生」を描き出すために、「ミュージッキング」(クリストファー・スモール)と「生きていること」(ティム・インゴルド)という概念を参照枠とし、パフォーマンスそれ自体がメンバーの「生」の表現の一つであり、それが日々の暮らしを「生きていること」と連続していることを示す。さらに、語り手と聴き手との関係性を描き出しながら「聴き取ること」の相互行為性について考察し、語り手の「生」と聴き手の「生」が地続きであることの可能性について考察する。本稿でのアプローチは、ナラティヴ・アプローチの批判を回避すると同時に、近代社会の二元論的思考を瓦解する試みとなることを示す。
収録刊行物
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- コンタクト・ゾーン
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コンタクト・ゾーン 10 (2018), 186-209, 2018-06-30
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050564285813737216
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- NII論文ID
- 120006491935
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- NII書誌ID
- AA12260795
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- ISSN
- 21885974
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- HANDLE
- 2433/232964
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB
- CiNii Articles
- KAKEN