<論説>蒙古襲来と鎌倉幕府 : 対応策の性格をめぐって

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タイトル別名
  • <Articles>The Mongol Invasion and the Kamakura Bakufu : The Character of Countermeasure
  • 蒙古襲来と鎌倉幕府--対応策の性格をめぐって
  • モウコ シュウライ ト カマクラ バクフ タイオウサク ノ セイカク オ メグ

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抄録

本稿は、幕府の対蒙古政策の歴史的性格を究明する試みで、その政治的・社会的背景に考察をしぼった。まず、蒙古国書に対する朝幕の対応の違いを比較し、幕府の「牒状無礼」=「返牒無用」の名分論的強硬策が朝廷の「返牒」を抑制、外交上の主導権を確保する政策であったと解した。つぎに、蒙古襲来前夜における幕府内の矛盾の爆発=「二月騒動」を分析し、この事件を経て得宗権力の政策主導権が確立されたが、得宗の政治的不安感は解消されなかったと見た。さらに、「異国征伐」計画は、御家人の動向による防禦体制の動揺を背景としており、単に外敵への攻撃に止まらず、防禦体制の強化・再編と得宗の権力基盤の拡大を図ったものと捉えた。最後に、幕府の諸国寺社への異国降伏祈祷令と諸国一宮・国分寺の興行には、国家的危機を顧みない武士=在地領主の意識と行為を規制し、幕府の将軍の権威下に彼らを結集・支配しようとする意図がこめられていたと理解した。

収録刊行物

  • 史林

    史林 73 (5), 682-721, 1990-09-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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