<論説>平安時代中後期の里内裏空間

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タイトル別名
  • <Articles>The Spatial Structure of the Sato-Dairi (里内裏) in the Middle and Late Heian Period
  • 平安時代中後期の里内裏空間
  • ヘイアン ジダイ チュウコウキ ノ サトダイリ クウカン

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抄録

里内裏は、平安宮内裏焼亡を契機として平安中期に出現した京内(里) の天皇在所であるが、以降、次第に平安宮内裏に取って代わっていく。里内裏の空間構造に関して、その邸宅の周囲三町四方に、大内裏に擬せられる「陣中」という空間が存在することが、先行研究で指摘された。それは里内裏の性格や意義を考察する上で重要な指摘であった。しかし、その空間の成立や変化などについてはまだ検討の余地があると考え、本稿ではその再検討を行った。得られた結論は、里内裏には、平安宮内裏の「陣中」から連なる衛門陣を境界とする邸宅内陣中と、邸宅の外に広がる三町四方の邸宅外陣中の、二つの「陣中」が存在し、邸宅外陣中の確立は一一世紀末であるというものであった。そして、その確立は里内裏の一つの変質点であり、白河朝からの、里内裏本宮化という皇居制度変革の流れの中に位置付けられると考えた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 88 (4), 546-575, 2005-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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