<論説>近世における「水田漁猟」の展開と河川流域の環境変化

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タイトル別名
  • <Articles>The Early-Modern Development of Paddy Fishing and Hunting and Environmental Change in River Basins
  • 近世における「水田漁猟」の展開と河川流域の環境変化
  • キンセイ ニ オケル 「 スイデン ギョリョウ 」 ノ テンカイ ト カセン リュウイキ ノ カンキョウ ヘンカ

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抄録

本稿では環境史の視点から、近世畿内の水田で行われた魚漁と水鳥猟、すなわち「水田漁猟」の実態を解明することを試みた。丘陵上の溜池での魚漁は、天保期には入札制と養魚が行われる段階にあったが、これは淀川・大和川上流の山地荒廃に伴い、丘陵谷口に位置する溜池で土砂流入が問題となり、その修築費用をまかなうために取られた方策であった。一方、淀川沿岸の低湿田での「魚鳥漁猟」については、堀上田との関わりが重視された。淀川の築堤と上流山地からの土砂流出は、淀川自体の河床上昇をもたらし、付近の水田に悪水滞留・湛水田化を引き起こした。その対応として、既存田の堀上田への転換が十九世紀前半の摂津・山城でみられたが、これは米の収穫率の向上以外に、堀潰れでの魚鳥漁猟を目的としていた可能性が高い。その背景には、京・大坂での「生洲」を中心とする魚鳥の商品需要があり、近世後期の「水田漁猟」が都市消費と直結していたことは重視される。

収録刊行物

  • 史林

    史林 101 (3), 534-567, 2018-05-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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