新名所の虚実 : 「松川十二景和歌色紙帖」(相馬市教育委員会)をめぐって

書誌事項

タイトル別名
  • Fact and Fiction in Meisho-e (Paintings of Famous Places) : Concerning the Album Matsukawa juni-kei waka-shikishi-cho (Tanka poems and pictures for the Twelve Views of Matsukawa)
  • シン メイショ ノ キョジツ : 「 マツカワ ジュウニケイワカ シキシジョウ 」(ソウマシ キョウイク イインカイ)オ メグッテ

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抄録

論文

万葉集にも登場する景勝地松川浦(福島県相馬市)を表す「松川十二景和歌色紙帖」(相馬市教育委員会、相馬市指定文化財)は一帯を治めた藩主相馬昌胤(1661 ~ 1728)によって元禄元年(1688)頃に作られた。松川十二景は、瀟湘八景の八景風に場所と季節や天候を組み合わせるのではなく、十二の場所を選んでいる。松川十二景は東山天皇の勅許を得て、公家が和歌を詠むことにより、新名所の権威を高めている。新名所を定め、権威づけることは、兄の急死により新しく藩主となった昌胤の正統性を示すものであった。新名所の権威を高める和歌に合わせて実景図というよりは名所絵風の狩野派の絵が描かれた。十二景は季節の順となる1 松川浦2 水茎山3 梅川4 沖賀島5 松沼浜6 川添森7 長洲磯8 紅葉岡9文字島10 離崎11 飛鳥湊12 鶴巣野が元来の順序とみられる。絵師は狩野常信ら江戸狩野の正統的な顔ぶれであり、絵も新名所、そして新名所を制定する藩主の正統性を補強する。

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