ルーマニアにおけるヒツジの移牧の変化 : 社会体制の変革に伴う

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  • ルーマニア ニ オケル ヒツジ ノ イボク ノ ヘンカ : シャカイ タイセイ ノ ヘンカク ニ トモナウ
  • Changing Sheep Transhumance in Romania : Changing with Social Conditions

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ルーマニアの南カルパチア山脈北麓のヒツジの移牧は,ヨーロッパのほとんどの地域がすでに失ってしまった二重移牧の形式を現在も保っている.社会主義体制下では生産性が上がらない場所であるとみなされ,ヒツジの個人所有が許された地域である.社会主義体制下では毎年生産高を増加させねばならず,そのことが弊害となって,ヒツジの数は正しく申告されてこなかった.しかし,1985年頃から,今回調査地としたジーナ村付近では,共有放牧地での土地荒廃が目立つようになった.その状況は社会主義体制が崩壊した1989年まで持続していたものと思われる.その後,2002年に予察調査を我々が行なった際や,2003年,2004年の計測によっても士壌侵食がなお持続していることが明らかとなった.2007年にはEUに加盟し,2年の猶予期間をおいて2009年にはEUの定める基準を守らねばならなくなったヒツジは全行程50km以上を移動させてはならない.チーズの運搬には保冷車を用いねばならないなどの基準はジーナ村のヒツジの移牧の様式を大きく変えた即ち平地のバナート平原には冬に向けてトラックか貨車で移動をする.この距離は約300kmである.夏の宿営地である山頂部へは歩いて移動する.しかし,今もなお-部ではあるが,ドナウ川河畔と山頂のルートでは,全行程を徒歩で移動している.一方,ドナウ河口のデルタでは社会主義体制の崩壊後,長距離移動をやめて定住をした.この距離は500kmを越える.社会主義崩壊後とEU加盟後の変化については,ヒツジの頭数を聞き取りによって正確に推定することは困難であったまた統計による数字も,相対的状況を知る手掛かりに過ぎない.そこで,山頂部の草地に原植生のムゴ松や,ドイツトウヒが進入した樹齢を計測した.その結果は,社会主義体制下では,夏全ヒツジを山頂部へ連れて行ったが,社会主義体制崩壊直後から山頂部へ連れて行くヒツジの頭数が激減した.そして,山頂部はもとの植生に戻りつつある実態が明らかになった.今後の南カルパチア山脈北麓のヒツジの移牧を維持するには,2つの方向があると思われる.1つ目は山頂部へのヒツジを移牧で連れて行っている間の観光地化である.その際は,観光客は徒歩に限定することを薦める.2つ目は,山頂部での良質のミルクや肉の生産を高品質にすることである.

Journal

  • 法政地理

    法政地理 45 1-10, 2013-03-21

    法政大学地理学会

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