彦根藩「御鷹場」と近江国の鳥猟

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タイトル別名
  • Hikone Han's Recognition of the Shogunate Hawking Ground and Bird Hunting in Ohmi
  • ヒコネハン 「 ゴ タカバ 」 ト オウミノクニ ノ トリリョウ

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抄録

本稿は、彦根藩の御鷹場研究の進展のために、近江国における鳥猟の支配について検討するものである。彦根藩は、近江一国を御鷹場と認識してきた。しかし、彦根藩が鳥猟を許可できた範囲は、自領内にとどまっており、他領内の鳥猟には関与できない状態であった。また、彦根藩は留場の設定などを進めるが、その範囲はあくまでも自領内の一円知行地的な空間であり、他領に及ぶものではなかった。彦根藩が御鷹場の実質化を試みようとした際、いずれの領主もその主張に異を唱えた一因は、このような鳥猟支配のあり方が実際に展開していたためであった。18世紀半ばになると、彦根藩は、幕府との交渉を通して、「京都守護」の拝命を理由に御鷹場の実質化を進める。その結果、彦根藩が、他領猟師に対しても鳥札を発給するようになる。しかし、全ての領主が納得していたわけではなかった。

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