小笠原諸島への養蜂の移入

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抄録

明治政府の内務省勧農局は農業振興策の一環として、明治10(1877)年にアメリカからイタリア種セイヨウミツバチ6 箱を輸入し、内藤新宿試験場で飼育試験をした。イタリア種は温厚で、多収蜜である事からアメリカ、オーストラリア、ブラジルへと移入が進み、家畜昆虫として世界中に普及していった。この品種を日本でも普及させようとの意図であった。内務省勧農局一等属武田昌次は明治11(1878)年9月に飼育試験済みの蜂群2群の小笠原島移入を勧農局で申請し、11月5日に勧農局小笠原島出張所長として小笠原島父島に到着、セイヨウミツバチ2箱を小笠原諸島に移入し、同月中に飼育を開始した。

収録刊行物

  • 小笠原研究年報

    小笠原研究年報 (43), 71-90, 2020-06-30

    東京都立大学小笠原研究委員会

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