実業家・教育者平生釟三郎における“liberate” な社会と軍事国家体制との相克(2) ―平生日記(1913.10.7.~1945.10.12.)に見る戦前日本の実像―

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  • Diary(7/10/1913~12/10/1945)of Businessman and Educationalist Hatisaburo Hirao(2)― Hirao’s Liberated Social Image against Military State ―

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抄録

大正9年恐慌が終息するや,今度は関東大震災が日本を襲う。東京海上火災の平生釟三郎にとって巨資を投じての帝都復興よりも,当然のことながら火災保険をめぐる「法理か社会問題か」という問題がはるかに大きな意味を持っていた。大震火災などの災害は国際的にも保険適用外であったのに,余りに被害が大きかったために何らかの補償を保険会社あるいは国家がすべきであるという世論が強まり,社会問題化していった。後者に理解を示した東京海上火災を中心とする関東系と弱小で前者に固執した関西系の利害が衝突したが,政府には両者を調停して解決する力量はなかった。最終的には被保険者の大衆運動が法理を押し切ってこの問題は終結する。しかし大震災はこれで終わったのではなかった。震災手形法案がらみで金融恐慌が発生する。平生釟三郎が注目したのは,台湾銀行と鈴木商店,および第十五銀行と川崎造船所の癒着と破綻・休業で,これによって神戸の雄傑と言われた金子直吉と松方幸次郎の時代は終焉する。

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