<b>産むことと育てることを分離する社会規範の可能性</b>

DOI
  • 竹内 みちる
    Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University
  • 樂木 章子
    Faculty of Welfare System and Health Science, Okayama Prefectural University
  • 杉万 俊夫
    Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University

書誌事項

タイトル別名
  • <b>The possibility of a new norm on the relationship between childbirth and child rearing</b>
  • NPO法人「環の会」の事例から

抄録

親の育児放棄や幼児虐待が報道されるたびに、人々の批判の矛先は母親に向けられる ---- 自分の腹を痛めた子に、なぜそんなむごいことをするのか、と。そこには、「自分が産んだ子は自分が育てるべし」という社会規範を見て取ることができる。<br> 本論では、あえて、「産んだら育てるべし」という規範とは正反対の規範、すなわち、「産んでも育てなくてもよい」という規範の可能性を、筆者が行った現場研究をもとに検討する。それを通じて、社会が子どもを育てるということに関して新たな視座を提供する。<br> 筆者が現場研究を行ったのは、「環の会」という特定非営利活動法人(NPO)であった。「環の会」の活動には、「産んだら育てるべし」という規範とは異なった規範が存在していた。すなわち、「環の会」のリーダーは、予期せずして妊娠した女性からの連絡に昼夜を分かたず対応し、もし自分で育てることができないのであれば、特別養子縁組をすることも一つの選択肢であるとアドバイスをしていた。また、「環の会」では、育て親候補者の募集も行っており、育て親に対しては、産みの親の存在を早期から子どもに伝えること、産みの親への感謝を忘れぬこと、また、産みの親が望む場合には、「環の会」を通じて、産みの親と子どもの接触を保つことを指導していた。<br> 「環の会」の現場研究を通じて、同会の活動には、生まれた子を「産みの親が育てるべし」とするのではなく、「産みの親が育てられない場合には、社会が育てていく」という姿勢を見て取ることができる。同会の活動は、社会が、生まれた子を無条件に受け入れ、育てていくための、いわば窓口としての機能を果たしているものと考察した。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680461598208
  • NII論文ID
    130004998426
  • DOI
    10.11245/jjgd.27.62
  • ISSN
    21854718
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
    • KAKEN
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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