明治期以降の金沢市における商業集積の変容過程
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- 秋元 裕介
- 東京大学
書誌事項
- タイトル別名
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- The changing process of commercial accumulation in Kanazawa since the Meiji era
- 尾張町を事例として
- The case of Owaricho
抄録
商店街の衰退に関する既存研究の多くは大型店の出店との関連において論じられ,その研究対象時期は昭和40年代後半以降に限られている.また,商店街に関するデータの入手困難さから商店街の長期的な変容過程を扱った研究は少ない.そこで本研究では,金沢市の尾張町商店街を事例として,商店の立地変化の視点から明治22年~平成22年までの商店街の変容過程を明らかにし,その衰退過程の解明を試みた.また,土地台帳による土地所有者の変化と商業データとを組み合わせることで商店の立地変化を推定する方法を導入し,商店街を長期的な視点から研究する手法の土台を提供しようとした. 明治22年~昭和37年では,土地台帳から得られる土地所有者氏名と「明治 28 年度県税中商業分賦等級別交名簿」,大正期尾張町の絵図,昭和11年の全国商店街調査より「金沢市に於ける商店街の調査」の3つの商業データから得られる商店経営者氏名等を照合し,昭和38年~平成22年では住宅地図を用いることで商店の立地変化を明らかにした.その結果,尾張町商店街における商店数は昭和30年代中頃以降現在まで減少傾向にあり,それは出店期間が30年以上の老舗の数が減少していることによる可能性が高いことが分かった. 昭和初期の尾張町商店街の商店構成は卸売業が中心であった.その衰退要因としては,昭和30年代末~40年代前半に流通革命の影響を受けて卸売業の近代化を目的とした卸売団地が形成され,尾張町の卸機能を相対的に衰退させたこと,また,昭和初期に都市中心部の不燃化を主な目的とした再開発を契機として武蔵ヶ辻~片町の商店街が発展し,小売業の商業核としての地位を確立したことが考えられる.そのため,卸小売の両面で衰退し始めた尾張町では,顧客との長期的な関係を確立することで経営の安定化を図ったものと考えられる. 現在の尾張町商店街では多くの商店が固定客に依存しており,商店街としての景観を喪失しつつある.一方で,近年出店した飲食店などでは,市内の飲食店網の中に尾張町を位置づけ直すことも試みられている.
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2012s (0), 100195-, 2012
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390001205696526720
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- NII論文ID
- 130005457184
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可