北陸地方の地域性とは何か

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タイトル別名
  • Regional characteristics of the Hokuriku District

抄録

領域 北陸地方は古代の北陸道に由来する名称で、福井(若狭、越前)、石川(加賀、能登)、富山(越中)、新潟(越後、佐渡)の4県(7国)の範囲である。北端と東端は山形県境の念珠ヶ関と朝日岳、南端と西端は京都府境の三国岳と青葉山であり、東西の直線距離は約480kmもあるが、幅は最も広い能登半島付近でも100kmほどで、狭いところでは10~20kmにすぎない。2012年の面積と人口は25,208km2と539.1万で、それぞれ全国の6.8%と4.3%を占めた。<br>自然環境 北陸地方では、海岸から他地域との境界の方向に平野と丘陵そして山地と配列されており、山地の面積が広い。境界地帯には北東から南西方向に、朝日・飯豊山地、越後山地、三国山脈、飛騨山脈と両白山地、伊吹山地と続き、険しい地形は他地方との人や物や情報の流動を妨げてきた。また、フォッサマグナが新潟県西部を南北に走っており、その西縁をなす飛騨山脈が日本海岸まで達していることから、北陸地方内の流動が大きく妨げられた。それ以外では、主要平野相互の境界となる山地や丘陵は、交通の大きな障害とはならなかった。陸地は他地方に対して閉鎖的であったが、日本海は他の地方に対しても、対岸のアジア大陸に対しても開かれていた。北陸地方はまた、世界有数の豪雪地帯でこれが人々の生活に大きな影響を与えてきた。積雪日数は平地で60日、山地で120日におよび、積雪量は平野部では50cm程度であっても、山地では4~5mにも達することがある。積雪は日常生活や稲作、水力発電などのために貴重な水資源であったが、農業やその他の経済活動、交通、日常生活の障害となってきた。<br>地域の性格 北陸地方は日本の中央部に位置するが日本海側にあるため、中心部からの隔絶性が強い。また、日本中央部に東西に長く広がっている北陸地方は、西日本と東日本の漸移的な性格をもっている。新潟県と富山県は東京と、福井県は大阪との結びつきが強く、石川県は大阪とのほか東京との結びつきも無視できない。また、北陸地方は寒地型稲作の南限に位置するとされ、寒さや短い成長期間を克服するために歴史的に様々な技術改良が試みられた1つの拠点としての性格をもっていた。文化的に北陸地方が西日本の境界であることはよく指摘されている。例えば、富山・新潟県境と愛知・静岡県境を結ぶ線が、東西方言の境界とされている。また、経済活動についても独特な性格がみられる。積雪によって冬季の農作業が制限されるために、農業は水稲単作によって特徴づけられ、また、古くから出稼ぎなどの農外就業が盛んであった。1960年代からの工場進出によって、出稼ぎが通勤兼業に転換された。北陸地方では古くから地場産業が盛んであり、各地での織物業のほかに、刃物や食器、漆器や陶磁器、薬、桐ダンスなど多様な産業があった。さらに大正期から昭和初期にかけ電力と石灰石、石油や天然ガスなどの資源開発によって近代工業が発達した。江戸期から明治初期にかけては、高い米の生産性と北前船による物流の繁栄により、北陸地方の経済的地は高かった。しかし、明治期後半以降、太平洋側を中心とする経済開発が進められる、北陸地方の経済的地位は低下し、労働力とエネルギー、食料の供給地となった。 北陸地方の人間に共通する特徴としては、まじめさ、がまん強さ、人情の厚さ、近所づきあいの深さとよそ者意識の強さなどがある。また、北陸地方では浄土真宗が古くから栄えたところである。浄土真宗の教えは「弥陀の本願を信じて念仏となえることであり、勤勉に働き蓄財することが弥陀のみこころにかなう」とされた。1960年代までは浄土真宗が北陸地方の人々の生活に深く浸透しており」、これが北陸地方の人々の生活を規定する重要な要因であった。<br>地域性とジオパーク 北陸地方の各県にはそれぞれ性格の異なったジオパークが立地しており、それぞれが固有の地域資源を活用してジオストリーをつくり地域振興を進めようとしている。さらには、北陸地方という1つのまとまった独特の地域の性格を活かしながら、ジオパーク相互の連携が図られるならば、より複合的で多様なジオパークの魅力を発信することができるだろう。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680672372736
  • NII論文ID
    130005481450
  • DOI
    10.14866/ajg.2014a.0_146
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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