近代筑豊地域の形成と地方財閥の動向

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  • Analysis of the formation of the modern Chikuho region and the role of the local financial combine

抄録

1.はじめに-問題の所在-<br> これまで発表者はメソスケールの地域を対象に、近代期の地方有力者(あるいは同族集団)の国土空間形成に果たした役割とそのメカニズムについて継続的に検討してきた。その結果、①明治後期になると、議会制民主主義の浸透とともに、地方有力者のもつ国土認識や構想実現のチャンネルを政治への関わりに求めていく側面があること、②一方で、伝統的な地縁・血縁による共同体的紐帯が、新たな動きを阻害する要素として働くことが資本・労働力の脆弱な中小の地方都市において顕著であり、その結果、地方有力者はコンツェルンや財閥のような多角的な経営形態に至らず、特定の分野に特化した役割を演じることが多いことが明らかにされ、これらの地域的適合性・普遍性の検討やメカニズムの妥当性検証の必要性が認識された。こうした問題意識をベースに、本研究では日本の拠点都市の成長とそれを主導した人間活動との連関を、近代日本の殖産興業・富国強兵政策を支えたエネルギー産出地として特殊な地域変容を成し遂げた福岡県筑豊地域を事例とし、地域の開発・変容のプロセスとメカニズムを地方財閥化した鉱業者(一族)の動きから明らかにすることを試みた。<br>2.筑豊地域の成立と変容<br> そもそも、筑豊地域の名称は、当該領域が明治前期の産炭地域として展開していく黎明期に旧国名である筑前・豊前の頭文字をとって命名された新地域名であり、日本近代化の過程の中で大きな意味を付与された領域である。筑豊地域は、優良な鉱産資源を背景に、政府の殖産興業政策のもとでの需要の増大に対応して産炭量を増やし、日清戦争以降急激に開発が進み、明治20年代後半には日本の産炭量の中で過半のシェアを占めるに至った。その過程で、遠賀川流域に飯塚・直方・中間・田川などの鉱業都市が成立した。「筑豊五郡石炭鉱区一覧表」等によると、明治中後期以降、一貫して、三井・三菱・貝島・安川・麻生の5社によって筑豊産炭量の過半を占めていたことも明らかになった。すなわち、筑豊地域における人口集中・都市化・産業化といった地域機能と景観の変化は、こうした東京を中心に財閥展開をした三井・三菱、および筑豊地域に本拠を置き地方財閥化していった貝島・安川・麻生といったグループの産炭事業に関連するものである。とりわけ、安川・麻生らの財閥化に伴う経営の多角化は、筑豊地域の産業構造の多様化に寄与した。<br>3.地方財閥-筑豊御三家-の役割<br> 筑豊地域の炭鉱業をリードした人物として、貝島太助、安川敬一郎、麻生太吉、伊藤伝右衛門らが知られるが、このうち、貝島、安川、麻生は明治後期以降地方財閥化し「筑豊御三家」と通称されるに至った。本研究では、「筑豊御三家」と呼ばれる3有力者(一族)を対象に、彼らの日記、および事業所日誌などから三者の有機的つながり、トップの動きと意志決定のプロセス等の分析を行った。<br> 安川や麻生の日記を検討した結果、彼らの極めて活発な動きが明らかになった。貝島太助・安川敬一郎・麻生太吉は、それぞれ筑豊地域内の直方・若松・飯塚を事業の拠点としながら、単独あるいは共同で頻繁に東京に出向き、大臣や議員をはじめとする政界の有力者、三井・三菱など財界関係者らと会談あるいは政策に対する陳情等を行っている。安川の具体例を挙げれば、安川敬一郎50歳代の明治後期、年間100~150日を東京・大阪で過ごし、若松に在宅したのは多い年でも年間の過半になることはなかった。東京での政財界人との接触のほか、大阪・福岡財界との関係、下関・門司・筑豊地域内において貝島・麻生など筑豊鉱業家との諸問題に関する協議などが具体的な動きとして浮かび上がる。このような活発な動きを通じて、財源確保による自らの事業拡大のほか、遠賀川改修や石炭輸送賃の改善など、地域のインフラ整備などに寄与していった。<br> こうした積極的な経済活動の一方、自らの政治への参加は必ずしも積極的とはいえない。従前の河野の研究で指摘した小諸・酒田の事例もそうであったように、政治活動への直接的参加は、人的資源を事業に集中せざるを得ないという制約により禁欲的であったとみられる。しかしながら結果として安川も麻生も業界や地域社会からの要請により議員として国政へ参画し公権力と相互関係を持ちながら、自らの立場からは事業の拡大、付帯的に地域の振興という役割を果たしていった。すなわち、明治後期以降、事業の端緒であり中核である石炭算出・輸送・販売事業が拡大するなかで、主力事業の補完に加え人材育成や厚生事業という趣旨から、安川は技術専門学校(現・九州工業大学)の設立や電気機械事業(現・㈱安川電機)の設立、麻生はセメント工業への進出とともに教育・医療関係(現・麻生グループ)など、地域の様々な可能性を生み出す機能の充実に寄与したプロセスが明らかにされた。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205694369664
  • NII論文ID
    130005481523
  • DOI
    10.14866/ajg.2014a.0_177
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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