南オーストラリア州アデレードにおけるベトナム社会の形成 Vietnamese Community in Adelaide, South Australia

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<br>1.はじめに<br>   近年、オーストラリアではアジア化が進んでいる。2011年のセンサスによると、全人口の8.7%、外国生まれ人口のうち約3割はアジアが占めている。なかでも多いのが、中国(外国生まれ人口でイギリス、ニュージーランドにつづき3位)、インド(同4位)、ベトナム(同、イタリアにつづき6位)である。<br> ただし、中国、インドからの移民が増加したのは2000年代以降であり、それ以前はベトナムがリードしていた。ベトナムからの移民は1970年代後半のインドシナ難民が起源で、40年近い歴史がある。特にニューサウスウェールズ州とヴィクトリア州に多いが、クイーンズランド州、南オーストラリア州にも1万人以上のベトナム系住民が居住している。シドニー郊外のカブラマッタやメルボルン郊外のフッツクレイに代表されるような「ベトナム人街」も形成されている。このようなベトナム社会の形成過程とその実態を解明するのが本研究の目的である。ここでは南オーストラリア州アデレードの事例を報告する。<br><br>2.ベトナム系住民の分類<br> オーストラリアのベトナム生まれ人口は1975年以前にはおよそ700人にすぎなかったが、1981年には5万人、1991年には12.2万人、2001年には15.5万人と増加した。2006年は16万人で微増にとどまったが、2011年には18.5万人(外国生まれ人口の3.5%)と再び増加に転じた。家でベトナム語を話す人口も、23.3万人(全体の1.1%)と2006年の19.5万人から増加している。ベトナム系の移民が、インドシナ難民やその家族を核としつつ、その子孫であるオーストラリア生まれの2世や3世、さらには新規の移民にも拡大していることがわかる。<br> ベトナム系住民は、以下のように、移民の時期によってその属性に違いがみられる。<br><br>①1975~76年の難民:旧南ベトナム政府関係者および中流階級が多い<br> ⇒一度職業上の下降移動を経験した人でも、努力によって再度、社会的上昇移動を経験した人の割合が、後の難民に比べて高い。<br>②1978年以降の難民:主として中国系ベトナム人で、小ビジネス経営者などが多く、教育技術レベルも相対的に低い。⇒職業選択が比較的困難。<br>③家族呼び寄せプログラムによる移民:「労働者」というより「扶養者」のケースが多い。<br>④オーストラリア生まれの2世・3世:<br>⑤2000代後半以降の新規移民:留学を契機とした若年層が多く、英語がある程度堪能。<br><br>3.アデレードのベトナム系住民とベトナム社会<br> 2001年と2011年を比較すると、ベトナム生まれ人口は10,237人から11,682人に増加し、家でベトナム語を話す人口は12,374人から15,620人に増加した。つまり、アデレードにおいては上述の④(2世、3世)の増加が顕著であることがわかる。<br> ベトナム系住民の分布を、移民時期(2000年の前後)に考慮して図化すると、つぎのような特徴をよみとることができる。①ベトナム系住民の多くは、アデレード中心部の北側に分散して居住していること、②2000年以降の新規移民は中心部の南側のベトナム系が比較的少ない地域に居住していること、③北部の農村地域(Virginia)に集住地区があること、である。<br> アデレード北部の公共交通はバスが主であり、基本的には車社会である。そのため、ベトナム系の居住地域も分散していると考えられる。ベトナム系の仏教寺院や子ども向けのベトナム語補習学校、スーパーなどがこの地域に立地している。<br> Virginiaは農業地域であり、ベトナム系が経営する農場が数百も立地する。イタリア系の農場主から経営を受け継ぎ、近年ではインド系などの労働者を雇って手広く野菜を栽培するというケースが多くみられる。

Journal

  • Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers

    Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers 2015s(0), 100182, 2015

    The Association of Japanese Geographers

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