chandovat sūtrāṇi bhavantiとchandovat kavayaḥ kurvanti

書誌事項

タイトル別名
  • <i>chandovat sūtrāṇi bhavanti</i> and <i>chandovat kavayaḥ kurvanti</i>:
  • ――ヴェーダ語用法に対するバーマハの考え――
  • Bhāmaha on Vedic Usage

抄録

<p>7世紀頃,カシミールで活躍したと目される詩学者バーマハは,Kāvyālaṅkāra第6章冒頭部で詩文(kāvya)制作におけるパーニニ文法学の知識の重要性を説いた後,同章第 23 詩節以降,詩人がなすべき言語使用となすべきでないそれについて多角的な議論を展開している.Kāvyālaṅkāra 6.27cd句では,詩文におけるヴェーダ語使用が禁止される.</p><p>KA 6.27cd: chandovad iti cotsargān na cāpi cchāndasaṁ vadet |</p><p>さらに,chandovat という一般原則に依拠してヴェーダ語を述べることも許されない.</p><p>このchandovatの原則は,文法家パタンジャリが論及する次の二原則と関わる.</p><p>1. chandovat sūtrāṇi bhavanti「諸スートラはヴェーダ語に準ずる」</p><p>2. chandovat kavayaḥ kuruvanti「詩人達はヴェーダ語のような[言葉を]発する」</p><p>バーマハの時代と地域における詩文と文法の連関を探る上で貴重な資料となるKāvyālaṅkāra第6章については,V. M. Kulkarni による有益かつ包括的な概説がある.しかし残念ながら,当該のchandovatの原則は詳論されておらず,バーマハがどのような思想的背景のもと上述の言をなすにいたったのかは明らかにされないまま現在に至る.この問題の考察が本稿の目的である.</p><p>上記二原則が登場するBhāṣyaの分析から,バーマハの主張の背後にあるものを以下のように描くことができる.まずもって,パーニニのヴェーダ語規則によってのみ説明され得る語形を美文作品中で使用することは許容され得ない.それらの規則は美文作品の領域では適用不可だからである.この種の語形は,パーニニ文典中のどの規則もそれを説明できないという意味において,正しくないものと見られるべきである.原則1はこの種の語形を正当化するものではない.何故なら,この原則はパーニニのスートラ中での言葉遣いに対してのみ有効だからである.この原則が効力を発揮する場を美文学領域にまで拡張することは許されない.このことは,Aṣṭādhyāyī 1.1.1: vr̥ddhir ād aicにおける語形aicに対するパタンジャリの議論の文脈から明白である.他方,詩文作家の習性に触れる原則2もまた,言葉の正しさを保証するものとはなり得ない.パタンジャリが同原則を望ましくないもの(na hy eṣeṣṭiḥ)とし,ヴェーダ語の特徴を有する詩文作家の表現を文章の欠陥(doṣa)と見るからである.以上より,バーマハはパタンジャリの論説に忠実に従っていると言えよう.</p>

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