『思所成地』体義伽陀における止観 <i>Śamatha</i> and <i>Vipaśyanā</i> in the Commentary on the Śarīrārthagāthā in the <i>Cintāmayībhūmi</i>

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Abstract

<p>『瑜伽師地論』の『思所成地』<i>Cintāmayībhūmi</i>には,体義伽陀Śarīrārthagāthāといわれる41の偈頌の集成とその註釈部分を含んだ章がある.この偈頌部分に関してはすでに梵本校訂と出典に関する研究が為されているが,註釈部分の校訂は未だ公表されておらず,梵本に基づく思想研究も行われていない.</p><p>体義伽陀の註釈部分に見られる大きな特徴は,止観による三毒の滅を広説する点と,修習により清浄なる識を獲得し,さらに識と身体的存在<i>ātmabhāva</i>を完全に断ずることを説く点である.本稿では特に止観に関わる第3,4,15,36項――テキスト校訂は別稿に譲る――を考察しその所説を『声聞地』と比較した.その結果,以下の点を指摘する.</p><p>体義伽陀の止観に関する項には,『声聞地』に基づく箇所が見られる.しかし厳密に『声聞地』に従っているとは思えない.なぜなら(1)体義伽陀は,『声聞地』に見られない説明,すなわち纒と随煩悩を滅して軽安を得ること,麁重と身体的存在の関係,慈心に基づく止を示す.(2)一方『声聞地』が詳述する内容,すなわち五停心観,名称に過ぎないという観想方法,止観による転依<i>āśrayaparivṛtti</i>の獲得は一切言及していない.(3)また『声聞地』と同じ偈頌を引用するが,尽所有性・如性有性といった同じ言葉を用いつつも異なった解釈を付している.</p><p>したがって体義伽陀は,基本的な表現を『声聞地』と共有しながらも,『声聞地』に特有の思想――比較的新しい層もある――に言及せず,身体的存在と識の関係に一層の関心を向けていると推測できる.</p>

Journal

  • Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu)

    Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu) 65(3), 1229-1235, 2017

    Japanese Association of Indian and Buddhist Studies

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    130006539213
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN00018579
  • Text Lang
    ENG
  • ISSN
    0019-4344
  • NDL Article ID
    028065823
  • NDL Call No.
    Z9-55
  • Data Source
    NDL  J-STAGE 
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