旧市街地におけるエコミュージアムづくりの試み

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書誌事項

タイトル別名
  • The trial of the Eco-museum Promotion in the Old City Area
  • A Case Study of the Taniyama in Kagoshima City
  • 鹿児島市谷山地区を事例に

抄録

_I_.はじめに 近年、まちづくりの新たな手法として、地域住民みずからが主体となって行政等と協働のもと「地域資源」を再発見し、それを発信しようというエコミュージアム活動が各地でみられる。まちづくりを進める上で不可欠な交流人口(観光客)の拡大につながるものとして、現代の多様化した観光形態に応えうるものとの期待も高い。 エコミュージアムと従来の博物館との相違は_丸1_主体としての住民の存在、_丸2_対象となる資料の分散範囲をテリトリーとする、_丸3_官民が対等の位置づけにあり、まちづくりに取り組むという3点に集約できる(新井,1995)。国内における動向もほぼこれに沿った形での運営がなされている。その先駆けは1989年の山形県朝日町における研究会発足にあり、2000年にはNPO法人朝日町エコミュージアム協会が誕生している。また、鹿児島県隼人町では地元の志學館と町生涯学習課などと住民が協働して築100年の駅舎を中心とした、決して数年前まで地域資源として一般には注目さえ集めなかった地域が、農産物の販売や散策マップの配布で地域資源が見直された。2004年にはJRの観光特急列車が停車するまでになっている。いずれも成功地といわれる地域に共通するのは、度合いの濃淡はあるにせよ上掲3つの要件を備えていることにある。しかし、これらのほとんどの事例は、農村地域(周辺地域)で展開されている(井原,2003)。エコミュージアムの定義からすれば、都市部での取り組みが少ないのは意外ともいえる。本研究では、都市のなかの過疎地域と言うべき旧中心市街地における活性化の手法としてエコミュージアムに注目し、地域住民の取り組みの模様や意識の実際を、参与観察法にもとづいて把握しその効果と課題を明らかにしていく。_II_.対象地域の概要 鹿児島市南部に位置する谷山地区は、1967年に鹿児島市と合併するまでは谷山市として国鉄谷山駅や市電谷山電停から南側にのびる国道225号沿いおよび周辺は商店街を形成するなど谷山市としての拠点性を持っていた。しかし、合併以後現在まで人口は約4倍の増加をみたが、それは郊外の新市街地の誕生の結果であり、旧市街地の停滞化は著しい。2002年に谷山TMO構想が策定されたものの、まちづくり手法として有効性を発揮するには至っていない。_III_.谷山エコミュージアムの確立に向けた動き エコミュージアムの対象地からみた旧市街地は、周辺地域にはない「地域資源」が存在する。たとえば、谷山地区には鹿児島市内唯一の19世紀建造の石橋が旧街道の河川に架かり、近世から近代にかけて塩田が広がっていたことを伝える塩釜神社がある。また、商店街には樹齢100年を超える保存樹がある。ところが、これらを一体のものと位置づけた固有の資源として、地域住民(とりわけここでは専門的な関心を抱く者を除いて地域住民という)が主体となり積極的に発信、すなわち活用してこなかった。以下、参与観察による成果を示す。住民みずからが「地域資源」を探すワークショップの開催 このような経緯を踏まえて、地元のNPO法人「かごしま探検の会」が常設の組織機能を担い、『たにやまエコマップ』作りをとおしたエコミュージアムの確立を図った。 ワークショップは2003年9月から毎月第2土曜日に計5回開催した。参加者は延べ62名で、その多くは高齢者と小中学生、旧市街地外の谷山地区に居住する者であった。毎回、ファシリテータとなるNPOのスタッフがおよそのルートを提示して、地域資源と感じたものに理由を添えて写真やスケッチに収め、散策後は各自がそれらをブレインストーミングしながら白地図1枚に集結させていった。とくに、子どもの視線がおとなだけでは見つけにくい、何ら変哲のないような空地や河川に棲む生き物に関心を向けさせ、遊び空間を実体験に基づいて記録していたことは特筆すべきであろう。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680670627456
  • NII論文ID
    130007016880
  • DOI
    10.14866/ajg.2004f.0.17.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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