大規模畑作地域における集約的農業への参入と撤退

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書誌事項

タイトル別名
  • Introduction and Withdrawal Process to Intensive Agriculture in the Large-scale Upland Farming Area
  • 北海道小清水町のユリ生産の追跡調査をもとに
  • A Follow-up Survey on the Lily Production of Koshimizu Town, Hokkaido

抄録

本研究では,日本農業が求められている経営規模の拡大の下で,地域農業の構造変化のもつ意味の一側面を考察するため,大規模畑作地域における集約的作物の導入から転換までの過程とその要因を明らかにした。研究視点として,中規模経営体の動態を地域内外の状況変化のなかで捉え,産地アクターの事業展開におけるネットワークを重要視する。中規模経営体に着目する理由は,これらの経営体が一層の規模拡大を目指すのか,収益を限界まで切りつめ現状の経営に留まるのか,経営を転換するのか,離農し農地を手放すのか,といった経営選択が大規模経営体の成長と地域農業の将来に異なる状況をもたらすと考えられるからである。また,産地アクターの事業展開とそこに生じる問題と課題を一定の期間で捉えることによって,地域農業の今後の方向性を検討するための示唆を得られると考えたことによる。<br><br>北海道斜里郡小清水町は,大消費地から遠隔地にあり,なおかつ耕作期間に制約のある道東の斜網地域に位置している。大規模畑作地域である同町は,1990年代に集約的農業の典型である花き(ユリ)生産が導入され拡大してきた特異な地域である。研究方法として,2000年にユリ生産を導入していた農家へヒアリング調査を実施し,2017年に追跡調査をおこなった。基幹作物の市場構造の変動と町農業の構造変化,中規模経営体の実態,集約的農業のもつ経済的効果と社会的意味に着目した。<br><br>ユリ生産の導入は,1990年に町内の野菜流通業者が農家にユリの球根生産と切花生産を勧め,関連資材を供給してきたことにはじまる。2000年におけるユリ生産者(調査先14戸)の経営面積は,8.0~25.0haである。いずれも畑作3品目(テンサイ,バレイショ,小麦)を生産し,他に野菜,ユリ,畜産を組み合わせた複合経営である。ユリ生産の10a当たり所得額を畑作物と比較すると,球根生産は3~7倍,切花生産は4~13倍を当時見込むことができた。ユリ生産の数年先の方針として,ほとんどの農家が生産規模の拡大または維持の意向を示していた。ユリ切花は導入当初と比べて販売価格が下落したとはいえ,2000年前後には限られた経営面積で高収益を得られる可能性があるもっとも集約的な作物として期待をかけられていた。<br><br>2017年の経営状況は,後継者へ経営を移譲し畑作を拡大した農家(5戸)と,和牛繁殖の拡大または畑作から転換した農家(4戸),そして離農または離農予定の農家(5戸)の三つに大別される。ユリ生産は球根生産を維持する1戸を除き中止された。2017年時点で離農していた4戸を除くと,2010年までに5戸が,2017年までに4戸がそれぞれユリ生産を中止した。ユリ生産の中止時期は,経営を大幅に転換した時期とおおよそ一致する。かつて中規模経営体が複合経営の一部門として期待をかけたユリ切花の生産と販売からは全面的に撤退することになった。<br><br>集約的作物ユリの生産の維持・拡大の限界と撤退に至る一般要因は,経営的要因,組織的要因,地域内部要因とに分けられる。経営的要因は,連作による品質低下と市場価格の乱高下,球根コスト(小球養成,成球購入)の上昇,価格と作柄からみた畑作3品目の相対的な安定優位性等である。組織的要因は農家ごとの経営選択にともなう組織的活動の減退であり,地域内部要因は主に切花出荷期の臨時雇用の確保困難である。ユリ生産からの撤退には農家ごとの特殊要因も影響し,後継者の有無に応じた畑作の規模拡大の可能性と和牛繁殖への転換の可能性,経営難による離農などが関係している。ユリを導入した中規模経営体にとってユリ生産からの撤退は,経営選択と地域農業の特質を象徴する現象であったとみることができる。結果として,ユリ切花生産者は町内では皆無となり,ユリ球根生産者を数戸残すのみとなった。<br><br>土地利用型農業を主とする地域において,中規模経営体にとっての所得維持手段であり継起的に要する副次的作物としての集約的作物がもつ意味が注目される。小清水町では,一部の中規模経営体が経営転換までの期間,ユリ生産を保持し家計を維持してきた点に経済的効果を認めることができる。また,流通業者との提携とこれを契機に農家の意識改革が生じ,再組織化を通じて自立的な取組みへもつながった。これら一連の取組みと並行するように,町内に観光ユリ園が開園し,現在でも斜網地域の観光の集客に寄与している。集約的作物ユリの導入から栽培知識と栽培技術の蓄積,農家らのネットワークによって築かれてきたユリ生産の四半世紀に及ぶ取組みの歴史は,町花を自生するユリとする小清水町に,地域の産業として一つの実質的な価値を付与し得た点に社会的意味を見出すことができる。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390845713025666944
  • NII論文ID
    130007539970
  • DOI
    10.14866/ajg.2018a.0_95
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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