『中観五蘊論』と『宝行王正論』の関係について――諸煩悩の定義に注目して――  [in Japanese] The Relationship between the <i>Madhyamakapañcaskandhaka</i> and the <i>Ratnāvalī</i>: With a Focus on the Parallel Passages in the Definitions of the Defiled Elements  [in Japanese]

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Abstract

<p>チベット語訳でのみ現存するチャンドラキールティ(Candrakīrti,600–650頃)の『中観五蘊論』(<i>Madhyamakapañcaskandhaka</i>)は,中観論書でありながら,仏教の初学者が無我の教えを理解するための入口として,有部の法体系を体系的に解説する一書であり,有部の教理に対する中観派の理解を伝える貴重な資料である.本論文では,同論の思想的な背景のひとつとして,龍樹(Nāgārjuna,150–250頃)の『宝行王正論』(<i>Ratnāvalī</i>)との関係について指摘する.</p><p>『中観五蘊論』の解説は,有部の法体系を論の中心に据えて,必要に応じてそれに中観派の教説を補足するというかたちで進められる.瓜生津隆真「中観学派におけるアビダルマ」(『三藏集』第三輯,1978,185–192頁)は,この中観派的な教説の中に『宝行王正論』と共通する教理が見られることを指摘する.一方,拙稿「『牟尼意趣荘厳』(<i>Munimatālaṃkāra</i>)における一切法の解説」(『密教文化』233,2014,51–77頁)で指摘した通り,アバヤーカラグプタ(Abhayākaragupta,11–12世紀)の『牟尼意趣荘厳』における一切法の解説は『中観五蘊論』にもとづくものであり,『牟尼意趣荘厳』の当該箇所の梵文テキスト(李学竹,加納和雄「梵文校訂『牟尼意趣荘厳』第一章」,『密教文化』234,2015,7–44頁)が刊行されたことで,『中観五蘊論』の原文を部分的に回収することが可能となった.この『牟尼意趣荘厳』から回収される梵文にもとづいて『中観五蘊論』の細部をみると,両論に共通する点は瓜生津論文が指摘する中観派の教理にとどまらない.</p><p>本論文では『宝行王正論』の第五章における罪過の解説に注目し,『中観五蘊論』にも説かれる十九法中の八法(忿,覆,悩,諂,嫉,憍,掉挙,悪作)において,両論の定義に逐語的な一致が確認されることを指摘する.そして,中観派の教説のみならず,有部アビダルマの教理という点でも『中観五蘊論』が『宝行王正論』と共通する伝統を受け継いでいる可能性を指摘する.</p>

Journal

  • Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu)

    Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu) 66(3), 1109-1114, 2018

    Japanese Association of Indian and Buddhist Studies

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    130007557291
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN00018579
  • Text Lang
    JPN
  • ISSN
    0019-4344
  • NDL Article ID
    028913275
  • NDL Call No.
    Z9-55
  • Data Source
    NDL  J-STAGE 
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