オリンピックにおける反・反知性主義:誰の平和のためのオリンピックなのか
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- 野上 玲子
- 日本女子大学
抄録
<p> 昨年度の議論を引き継ぐかたちで、オリンピックと反・反知性主義が織り成すオリンピック希望論を考えてみたい。反知性主義とは、知性主義への反感から知性や理念を批判し引きずり降ろそうという態度であると理解し、ここからもう一度、オリンピックにおける平和への理念(オリンピズム)や権威(IOC)を現代版として立て直すとすると、どのような提言が可能なのか。今や、自国でのオリンピック開催を歓迎する声は少ない。不透明なIOCの体制、膨大な費用のかかる大会、金メダル至上主義など現代のオリンピックに平和への理念は見出せない。広く世界に向けた平和な地球社会に寄与する姿勢も見られない。本発表では、普遍であるはずのオリンピックの理念がいかに時代の趨勢や流行に流され空虚なものであったかという批判的視点から出発し、その様相とカントの平和哲学を援用解釈しながら、平和理念の再構築を目的としたオリンピック希望(改革)論を提示する。その際、平和のためのオリンピックは誰の平和のためのオリンピックなのか、オリンピックが体現しうる平和への理念と私たち人間およびIOCの組織改革を含む平和への努力の方向性を体育・スポーツ哲学の立場から提言していく。</p>
収録刊行物
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- 日本体育学会大会予稿集
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日本体育学会大会予稿集 69 (0), 28_2-28_2, 2018
一般社団法人 日本体育学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390564238064193280
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- NII論文ID
- 130007581607
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- ISSN
- 24241946
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可