『テンペスト』のジェームズ朝的インターテクスチュアリティ ~シェイクスピアと書物~

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  • 慫慂論文 『テンペスト』のジェームズ朝的インターテクスチュアリティ : シェイクスピアと書物
  • ショウヨウロンブン 『 テンペスト 』 ノ ジェームズ チョウテキ インターテクスチュアリティ : シェイクスピア ト ショモツ

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抄録

シェイクスピアが単独で書いた最後の劇作品『テンペスト』は、それ以前の彼の劇世界の多様な側面を内包し、様々な解釈を施され、ユニークな上演や改作を生み出してきた。プロスペロのエピローグを劇界に対する別れの言葉ととらえる伝統的な伝記的解釈は、二十世紀後半の作家性を否定する批評傾向により隅に追いやられ、新大陸・植民地主義言説等を強調する政治的解釈や、多様な受容・上演研究に関心が寄せられてきた。近年、ルーカス・アーン等の研究により、1616年にWorksを出したベン・ジョンソンを待つまでもなく、シェイクスピアや他のエリザベス朝劇作家は出版も念頭に脚本執筆を行っていたことが指摘され、シェイクスピアは座付脚本家に過ぎず、書かれた芝居はあくまで台本で出版は重視されていなかったという従来の定説は大幅な修正を迫られている。さらに生前からシェイクスピアには自作劇集の構想があったのではないかという説も再浮上してきた。シェイクスピアにとって“my books”は、蔵書として所有と読書の喜びを与えるとともに、“recompense”を得るための表現手段でもあったであろうが、文学的劇作家として彼はどのような関心や思いを抱きながら書物に向かい、劇作という文学的著述に勤しんでいたのであろうか。本論は、『テンペスト』執筆に際して彼が読んでいた可能性が高い書物に焦点をあて、正にシェイクスピアの本であるファースト・フォリオの巻頭を飾る『テンペスト』のジェームズ朝的インターテクスチュアリティを分析し、国王座付劇詩人としてのシェイクスピア晩年の作家像の一面を探ることを目的とする。

九州英文学研究第35号、pp.35-44

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