『御遺告』活字本をめぐる一・二の問題

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タイトル別名
  • Some Problems Regarding the Printed of Kūkaiʼs Testament Goyuigō
  • 『 ゴイコク 』 カツジホン オ メグル イチ ・ ニ ノ モンダイ

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抄録

    去る平成27年1月14日に開催していただいた最終講義の席で、高野山大学密教文化研究所から刊行されている『定本弘法大師全集』(以下、『定本全集』と略称す)について、改訂作業を継続しておこなうべきことの必要性を、つぎのように申しあげた。<br> <br> ①『定本全集』に深くかかわった者として、最後に一言申しておきたい。それは、『定本全集』を高く評価して下さる方がおられるのも事実であるけれども、本当に「定本」と称することができるか、と問われたとき、私は躊躇してしまう、と正直に申しておきたい。<br> ②なぜか。それは「定本」と称するに値する手続き・編纂過程を踏まえて完成したものではない、と考えるからである。あの時点では、最善の方法がとられたともみなすことができるけれども、より完成度の高い、本当に『定本全集』と称するに値するものにするためには、今一度、手を加えるべきである、と考える。<br> ③『定本全集』を編纂したときの基本は、古写本を博捜し、蒐集した写本のなかで最善本を底本として翻刻し、それに校合本との語句の異同・相違を註記する、というものであった。確かに、これらの作業をおこなうだけでも大変なことではあったけれども。<br> ④では、どこに問題があるのか。それは、語句の校異は記しているけれども、空海が書いた時点ではどの語句であったのか、オリジナルな形はどれか、といった、一つ一つの語句を吟味し確定する作業がなされていないことである。この本文の確定作業には、一つには教理・教学の広い知識・視野を踏まえた内容上からの検討が、いま一つは漢文の文法上からの検討が必要となろう。<br> ⑤このように考えると、一人の人間がおこなうことは不可能に近く、チームを組んで検討し確定する作業を進める方が、よりよい成果があがるであろう。そうすると、ここにいう『定本全集』の改訂作業は、密教文化研究所でやっていただきたい、いな、やるべき責務があるのではないか。<br> 「定本」という呼称に相応しい、より完成度の高い「全集」との観点にたったとき、『定本全集』所収の『遺告25ヶ条』(以下、『御遺告』と略称す)の本文には、いくつか気になる点のあることが判明した(1)。『御遺告』には、活字本が『定本全集』をふくめて3本あるけれども、『定本全集』が信頼できないとなると、われわれは信憑性の高い『御遺告』原文に接することができなくなってしまうのである。<br>  ともあれ、『定本全集』所収の『御遺告』についての若干の疑義を記すとともに、最善本の刊行についての私案をのべてみたい。

収録刊行物

  • 智山学報

    智山学報 65 (0), 103-126, 2016

    智山勧学会

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