景観紛争におけるスケールの政治とジオエシックス

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タイトル別名
  • Landscape conflicts, politics of scale and geoethics

抄録

はじめに<br><br> 観光開発や公共事業,さらには世界遺産登録に至るまで,地域に何らかの人為的インパクトが加わるとき,多くの地域で不可避的に発生するのが景観紛争である.発表者はこの10年間,地理学が得意とする空間的可視化の手法を用いて景観紛争の空間的諸相を明らかにし,そのプロセスやメカニズムの解明を通じて社会貢献をなすことを志してきた.筆者が主に関わってきたのは,公共事業のあり方をめぐって地域を二分する紛争となった「鞆の浦港湾架橋問題」(広島県福山市)と,いわゆるFIT法成立に伴い全国に乱立した太陽光パネル発電施設をめぐって周辺住民と事業者の間で法廷闘争にまでもちこまれた景観紛争(山梨県北杜市)の2つである.本発表ではこれらの事例を紹介し,双方に共通する紛争の構図や生成メカニズムについて整理して話題提供することを通じて,シンポジウムにささやかな貢献を果たすことを目的とする.<br><br>景観紛争の構図<br><br> 鞆の浦の紛争は,公共事業(地元行政)の是非をめぐって推進派住民と反対派住民及び文化人や有識者との間で論争となった.一方,北杜市の場合は,届出義務のない小規模な太陽光発電施設を事業者が住宅地に設置したのを契機に,周辺住民が反対の声を挙げたものである.二者は様相を異にする紛争でありながら,大きく2つの点で共通項がある.第一には,発表者が「『神話』性」(鈴木2014)と呼ぶある種の共同幻想の存在であり,景観紛争はこの共同幻想を深く内在化している者の間でより尖鋭化される傾向がある.第二には,対立する当事者たちのうちの少なくとも一方が,自らの属する空間スケールの外側に向けた「政治の行使」をすることである.鞆の浦の場合,鞆町という空間スケールの内側で架橋計画に反対する住民は少数派であった.しかし,彼らは「鞆の浦を世界遺産に」をスローガンに掲げ,在京文化人や研究者,さらにはユネスコの諮問機関イコモスの会長までを運動に巻き込み,最終的に架橋事業を断念させた.また北杜市で,私設の太陽光発電所を運営する個人事業者や北杜市出身の市長ら地元出身者による再生可能エネルギー重視の見解と相剋するのは,定年後に移住してきた別荘地の住民たちであった.彼らが訴えるのは,身近な眺望景観の毀損や「光害」であるが,彼らは自らを「市民」と称し,鞆の浦の反対派と同様,外部に向けた働きかけによって思いを遂げようとしていた.<br><br>おわりに<br><br> 四半世紀にわたる紛争が根深い相互不信を生み,鞆の浦では「住民協議会」開催後も双方に根深いしこりが残る結果となった.ジオを「描写する」学問であることの無力さを痛感した発表者は,北杜市では自らが交渉役となり,紛争が深刻化する前に当事者同士が「見られながら議論する」場を設けて,相互理解を促進することから「神話」を乗り越える試みをした.その影響と効果について,発表者はまだ明確な答えを得ていない.当日はこの試みを通じた教訓や知見を披瀝し,議論の材料に供したいと考える.<br><br>文献<br>鈴木晃志郎 2014. 住民意識にみる公共事業効果の「神話」性とその構成要因. 歴史地理学56(1): 1-20.

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390564238096905856
  • NII論文ID
    130007628673
  • DOI
    10.14866/ajg.2019s.0_34
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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